ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

断捨離を継続し過ぎないように、また必要になることもある。

最近、身の回りがゴチャゴチャしてきました。

それは生活用品が溢れていたり、仕事場が乱れていたり、人間関係がおかしくなってきたり。

 

自分の内面的にも落ち着かず、あぁこれは断捨離をしないといけないんだな。

と気付く。

 

断捨離と言えばいいのか、新陳代謝と言えばいいのか。

新陳代謝と聞くと、黒川紀章のメタボリズムの話を思い出してしまう。

 

断捨離にしても、身の回りの整理にしても、やりたいこと、やりたくないことの線引きにしても、その時の判断を継続させる必要はない。

今の自分、今のポジション、今の時代に合わないだけ、必要ないだけだということ。

 

上司Aの意見は全く共感できないし、言っていることもおかしい。

そう思ったときに、上司Aのことを「断」するだろう。

友人Bの考えや存在が気持ち悪くてどうしようもないと思ったら「断」するだろう。

 

今の自分がそれをするならOKだ。

本当に必要ないと思うのであれば、とっとと切り捨ててしまおう。

だからといって、その切り捨てたコトに固執する必要は無いということ。

 

半年後、1年後になれば、ハッと気付くことがあるかもしれない。

5年後、10年後に、自分のセリフが上司Aとそっくりになるかもしれない。

 

そうなったときには、遠慮なく「断」をやめればいい。

また改めて付き合いを始めればいいのだ。

 

世の中は変わるし、自分も変わる。

相手も変われば、時代も違う。

 

過去の判断にしがみつくことなく、改めて判断しなおせばいい。

今日、今の自分は、〇〇が必要で△△は不必要。

そういう判断をしただけなので、明日になれば違うかもしれない。

 

気持ちがコロコロ変わると言われても、自分を定期的に見つめなおすことは必要で、そのときの自分自身の気持ちに正直になればいいだけのこと。

夏になれば「暑い」と言い、冬になれば「寒い」というくらいの気持ちで。

 

新入社員のころであれば、2~3年先輩のことが気になる。

結婚を考えだすと、既婚者の先輩が気になる。

子供が生まれると、子育ての経験がある人が気になる。

独立しようとしているなら、既に独立した人が気になる。

 

逆にそうじゃない人のことは、無関心になり「断」してしまう。

が、次のタイミングで必要になるかもしれない。

 

その時は冷静に、必要な人を頼ればいいだけのこと。

一度「断」したからといって、それに固執してはいけない。

 

  1. 今の自分の声をもっと聞くこと。
  2. それに忠実に、正確に従うこと。
  3. それ以外の雑音になるものは、さっさと断捨離してしまうこと。

この1~3を定期的に繰り返すことが、自分を安定させるし自分自身のPDCAを回すことになる。

 

定期的にリセットし、今の自分を見つめてみよう。

 

新・片づけ術「断捨離」

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途中で寝てしまう、心地よい環境にいるから

五感の中で、聴覚が一番好き。

音にこだわることが多い。

 

以前、コーヒーについても「音」という切り口でブログを書いた。

自分勝手な喫茶店で音と向き合う #珈琲とわたし – シュミカコ

 

どこかで「音」に対して深い思い入れがあるようです。

 

素敵な音に包まれたとき、僕は寝てしまうんですね。

 

テレビからの音では満足できない。

テレビのスピーカーの音は、あまり好きじゃない。

固い音がするから、耳障りがよくない。

 

ちょっと時間のあるときは、外付けのスピーカーを使う。

中古で仕入れたお値打ちなスピーカー。

 

それを使うと、音に厚みが出てくる。

今まで聞こえなかった、再生できていなかった音が聞こえるようになる。

そんな心地よい音を聞いていると、いつの間にか眠くなってくる。

少しばかり音が大きくても、気持ちのいい音楽、気持ちのいい声、気持ちのいい音であれば寝てしまう。

MISIAのライブ映像を見ながら寝ていたり、MJQのライブを聴きながら寝てしまうことも。

 

寝る前の定番は桂文珍の落語。

いつも聞いているヤツでいい、あたらしいネタじゃなくていい。

文珍の声、間の取り方、セリフの言い回し、そういう音が気持ちいい。

いつの間にか寝てしまうのだ。

 

心地よい音に包まれて、心地よいふわふわした気分で、夢の中にいる。

そんな生活が僕の憧れだったりするわけです。

 

 

桂文珍  10夜連続独演会 DVD 10枚組(デジパック仕様、解説書付、化粧ボックス収納)

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多様性を推し進めると、矛盾だらけで無関心になる

多様性が大事だ、ダイバーシティを推進しよう。

個々を大事にする方向に向かっているのか、「こうあるべきだ」という考えは受け入れられなくなっている印象があります。

この多様性を大事にすことは、本当に大切なことなのでしょうか。
ダイバーシティを推進しなければいけないのでしょうか。


世の中には

  • 多様性なんていらない
  • 男は外で働き、女は家庭を守るべきだ
  • 長男が墓も仏壇も守るべきだ

と考える人がいます。

多様性を認めるということは、これらの意見も守らなきゃいけない。
今の時代に即していないかもしれないが、多様性を認めることで、安易に排除できないわけです。


従業員に柔軟な働き方をさせる一方で、会社がガチガチに管理する働き方があるのも多様性。

それぞれのポイントで、良いこと、悪いことがあるのも、多様性の一つなのでしょう。


多様性なんてクソくらえだ。
と思う意見を大事にすると、多様性が推進されない。
という矛盾に陥っていきます。


フラットに考えれば、「自分」以外の人、モノは、どんな考えを持っていても良いというわけです。
そこに対して意見や考えが出てくるかもしれなけれど、「それは違う」「こうあるべきだ」とは言えない。
僕の中で間違っていると思っていても「相手はそう考えるんだなぁ」と思う程度にしかなれない。

どんどん他人に対して関心が持てなくなってきます。

 

他人がどんなことを言っていても、それは多様性だからです。

 

ここまで言うと、多様性の過大解釈だと言われる。

けれども、一度振り切れてみることも、考える際には大事なこと。

 

多様性云々と言う人は、過去や現状のどこかに不満があるのでしょうか。

あの金子みすゞ氏も、「みんな違って、みんないい」と言っていますので、昔からそういう考えがあったことは事実かと思います。

 

本来の多様性というのは、お互いの"違い"を互いに認め合っていきましょう。

という意味なのでしょう。

でもそれは、集団の中で生きていくためのことだと思っています。

 

最近は「個」が注目される時代。

「個」の多様性とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

だんだん他人のことが信じられなくなる今日この頃でした。

 

 

生物多様性 「私」から考える進化・遺伝・生態系 (中公新書)

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著作権云々言うヤツは、何を根拠にしているのか

著作権のある著作物を無断で使用すると著作権侵害になります。

誰かが撮った写真や、誰かが描いた絵、誰かが書いた文章を勝手に使うと著作権侵害になる場合があります。

一定の条件下では、著作者の許諾を得ずに使うことができます。

 

最近のキュレーションメディア問題でも話題になった著作権。

こうやってブログを書く人の間でも、今まで以上に意識することが増えました。

 

自分が文章を書く場合、記事を作成する場合は、気を付けなければいけないことがたくさんあるんですが、他人の記事を読む場合だとどうでしょうか。

「あいつのブログは著作権侵害だ」とか、「あいつの記事は法律違反している」とかいう輩がいるんですよ。

 

でも、その違反って本当に違反なのでしょうか。

 

著作権のポイントは「無断で使用」しているかどうかです。

著作権の権利者に許可をもらっていれば問題が無いんです。

 

例えばここに、篠山紀信の撮影した写真を10枚掲載しようと「使ってもいいよ」と言ってもらえていれば、何の問題も無いわけです。

 

ただ、傍から見れば違反している"ように”見えるかもしれませんが。

 

ということは、その著作物に対して、著作権利者が許可したかどうかなんて分からないわけです。

正当な手続きを取って、掲載しているものに対して「著作権侵害だ」と外野の人が言うことは、それ自体が色々と違反しているかもしれません。

 

 

さて、明確な根拠がないままに、大きな声であーだこーだ言うのは良くないですよ。

それが壮大なブーメランになって自分に返ってきますよ。

 

どこかで覚えたセリフを、ただ言いたいだけの人

変な正義で、自分はすごくいいことをしていると思っている人。

 

好きに言うのはいいけれど、そういう場で好きに言う人は、結局自分自身のツメが甘いんですよ。

発言していることと同じことを自分がしていることに気付いたほうがいい。

 

自分が見ている世界、自分が知っていることを信じたい気持ちは分かるけど、それが全てではないから。

もう少しね、周りを見た方がいいんじゃないですかね。

 

文句ばっかり言ったり、無意味な批判ばかりしたり、他人の揚げ足ばかりを取る人。

ちょっと残念な人が多いですね。

周りからも受け入れられていないような印象です。

 

自分が、自分が、と前に出ることも大事ですけど、持論を振り回すだけで終わらないように。

これからの活躍を期待しています。

 

著作物の無断使用が判別できる術があるなら、ぜひこっそりと教えてくださいませ。

 

 

ネット時代のクリエイターやミュージシャンが得する権利や著作権の本

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なんかよく分からないけど、左側が好き

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こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

電車やバス、飛行機に乗るとき、座席にこだわりはありますか。

窓側がいい、通路側がいい、トイレに近い方がいい、コンセントがあるところがいい。

 

パッケージツアーや、初めて使うモノであれば、こだわりは少ないかもしれません。

ある程度乗り慣れてくると、そのこだわりが顕著になるんですね。

通勤の電車でさえ、この時間、この車両、この位置と自分の定位置や好きなポジションがある人が多くいるでしょう。

 

そんな座席の"こだわり"について。

僕は進行方向に向かって左側が好きなんです。

左側の座席ばかりを選んでしまいます。

 

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新幹線で東京から新大阪方面へ向かうときは海側の座席、A席を狙って座席を選びます。

新大阪からもう少し進むと左手に見える海や明石海峡大橋、明石市立天文科学館にワクワクしちゃいます。

 

逆に新大阪から東京方面に向かうときは山側が"進行方向に向かって左側"になります。

新大阪からソーラーアークを過ぎ、富士山を見て、東京に着くわけですね。

 

景色が好きだから、車窓を眺めるからといって左側の座席を選ぶわけではありません。

なぜか好んで「左側」を指定するんですね。

 

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小さなころから助手席に乗っていたからでしょうか。

景色は左側にあり、右側には誰かが座っている。

そんな環境が小さなころからあったのも事実です。

だから左側が好きなのでしょうか。

 

また、左手を窓枠に乗せることも多いので、僕が右利きだということも関係しているのかもしれません。

 

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そんなことを考えている中で、一番のポイントになったのは「車両は左側通行」だということです。

左側に座っていると、基本的にはすれ違う電車に出会うことはない。

ということは、静かに電車やバスに乗っていられます。

 

その関係もあってか、左側のほうが眺めがいいことが多いですね。 

 

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また飛行機であれば、ボーディングブリッジがあるのが左側。

そういった地上スタッフの動きを見ることができるのも「進行方向向かって左側の座席」なのかもしれません。

 

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なにがなんでも左側じゃないとダメだというわけではないですが。

自分が好んで座席を選ぶ際は、左側の窓側に座ることが多いということです。

 

名古屋から東京へ行くときは日中に、東京から名古屋に帰るときは夜ということが多いので、左側に座っていれば富士山がしっかり見えることでしょう。

 

その小さなこだわり、どうでもよいこだわりを持ち続けて、楽しい旅行をしたいと思っています。

僕と旅行に行くときは、進行方向向かって左側の座席をキープしていただきたく。

何卒よろしくお願い申し上げます。 

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