ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

理由なんて必要ないし

こんばんわ。今日は仕事だったので、あまり更新できず。

最近ツイッターで、僕が勝手に絡んでる人がいまして、

いじめてやろうとか、陥れてやろうとか、そういうのじゃなくて、

本当に、たまたまの出会いですけど。

 

kiria42.hatenablog.com

 

これを書いている人です。

 

お昼に、たまたまツイッターでリプしたら、

返事が返ってきたので、思ったことを書いてやるぞ!!と。

 

彼は「カネと名声を手にいれたい」そうです。

なんでそうなりたいのか?と尋ねられ、理由が見つからないからモヤモヤ

ということだと、僕は思っています。

 

だから、僕なりに「理由なんていらんぞ」と言ったら

彼は「理由が欲しいんだ」と言っていました。

 

中学3年生ということは、15才でしょうか。

僕の半分の年齢の相手に、僕もモヤモヤしてきたわけです。

僕の勝手な、僕なりの意見ですが。

 

モノゴトを始めるとき、何かをするときに、

理由が必要なこともあるし、裏付けがいることもある。

けれども、漠然と「やりたいこと」を思っていることも

それはそれで、すごく重要だと思う。

 

僕が20才の時、仕事が一緒だったルパン三世みたいな先輩に

「どんな自分になりたいの」と聞かれたことがあって、

「とにかく有名になってみたい」と答えたことがありました。

 

また、同じ仕事の別の先輩に、「生きる上で、自分が大事にしたいことは」

と聞かれ、僕は「周りの人が笑ってくれるような自分でいたい」

と答えました。

 

有名になりたいと思ったのは、自分のことを知ってくれている人に

自分は元気にしてるぜ!!というアピールが簡単にできるから。

たしか、そんなことも付け加えて話をしたことを覚えています。

10年も前のことです。なかなか有名になれてないですけどね。

 

でもね、なぜそうなりたいか、なぜそうしたいか

とかを突き詰めていくと、必ずぶつかるわけです。

だって「理由」そのものが、曖昧だから。

 

名声を手に入れたい。と思ったのは、なぜかと言われて

カッコいいからとか、チヤホヤされたいから。

という理由があったとすれば、

なぜカッコよくなりたいか、なぜチヤホヤされたいか

と考えるようになって、つきつめて、つきつめていくと

まぁ、どっちでもいいや。となることが多かった。

 

理由で語れないこともたくさんあるということです。

ある日、あの子のことを好きになってしまった。

好きで好きでしょうがない、胸いっぱいになったとしても、

なぜ好きか。と聞かれても、好きなものは好きだから。

と答えてしまうと思う。

 

彼は、すごく頭がいいのか、感受性が豊かなのか

そういう細かなところも気になるんでしょう。

たぶんですよ、たぶn。

 

今までは理屈で片付いてきた「世界」から

そうじゃなくて、よくわからない「世界」に

ステップアップしているのではないでしょうか。

 

鈍感な人は、そういう違いに気付かないものです。

気付いても気にしないものです。

部屋の模様替えをしたときや、髪型を変えてみたとき

何かあったんだなぁ。と思っても、どうでもいいことなんです。

 

そこが気になることは、大事なことだと思うし、

それが長所になることもあるけれど、そうじゃないこともある。

 

僕も似たような気持ちになったことがあります。

高校生のころだったけど、すごく細かいことが気になって気になって

もうどうしようもなくなってしまった。

そして、学校に行かなくなった。というより、行けなくなった。

現実を上手く消化できなくて、負のスパイラルに陥ってしまいました。

 

それもこの年になると、受け入れられるようになるんですよね。

間口が少し広がるというか、それもそうかなぁと思えるようになる。

 

考えを並立させることができるようになるわけです。

 

わからないことを、わかりたくなる、その熱意やややる気は

重要なことだと思いますが、

どこかで諦める、まぁいいや。と思うことも大事だと思います。

どっちも、バランスが重要なんですよ。

 

まだまだ彼に思うことは、たくさんありますが、

今日のところは、これくらいにしておきます。

 

ただのお節介野郎ですが、

そういう人を見ていると、気になって気になってしょうがないわけで、

改めて、また書いてやる!!

ではでは