「カッチーン」と頭の中で音がした。
要するにキレているわけだ。
とにかく怒っています、怒りに満ち溢れています。
小さいころから、キレるときに「カッチーン」と音がすると刷り込まれてきたので、条件反射的に「カッチーン」となる。
キレやすい若者と呼ばれた世代だが、そんなこと言われなくても、キレるときはキレる。
簡単に言うと、今日は怒りに満ちているというわけ。
すごくすごく紐解いていくと、自分の思い通りにならなかったということなんだけれども。
それ、おかしいやろ!!ということが、目の前でたくさん起きている。
人と一緒に過ごすというのは、非常に難しいものだ。
几帳面とか、神経質とか、そういう性格でないと思いたいが、ブログ名が「ちゃんとやれ!」と言うくらい、ちゃんとやらない人が嫌い。
適当さが溢れている人は、大嫌いだ。
その適当さを「適当だよ!!」と言ってくれれば、まだ許せるが。。。
ちゃんとやってますけど何か??
みたいな感じでこられると、まさに「カッチーン」となる。
手抜きだらけじゃないか、と僕は見てしまう。
どちらの基準、どのレベルでいう話でもあるが、甘く見積もってもその人の本気レベルではないことが分かる。
やったフリ、したつもり、適当にものごとを済ませていくことが、非常にムカつく。
なぜなら、その後にもっと大きな問題につながっていくから。
また、同じことを「ちゃんと」しなければいけなくなったり、もう一度初めからやり直したり。
とにかく手間が増える。
例えば洗い物。
ちゃんと洗っていれば、乾かして片付けるだけ。
中途半端、適当に洗ったけどーっとなったら、もう一度洗い直さなければいけない。
それが無駄、無駄、無駄。
そんなことに時間も労力も使いたくない。
単純にお前の手抜きだと言いたい。
でも、本人はそんなつもりがない。
僕がよく参考にしているものの中に大手広告代理店 電通の「責任三カ条」というものがある。
1. 命令・復命・連絡・報告は、その結果を確認しその効果を把握するまではこれをなした者の責任である。その限度内に於ける責任は断じて回避出来ない。
2. 一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。一を聞いて十を誤る如き者は百害あって一利ない。正に組織活動の癌である。削除せらるべきである。
3. 我々にとっては、形式的な責任論はもはや一片の価値もない。我々の仕事は突けば血を噴くのだ。我々はその日その日に生命をかけている。
これの2番。
一から十までちゃんとできないなら、一だけちゃんとやっとけ。
そんなニュアンスでよいだろう。
ここ、ここが重要。
適当に済ませる人は、適当なわけで、邪魔なんです。
結局、その適当な箇所があとあと大きな問題になってくるから。
もういい加減止めてほしい。
その適当にやっていることを、そしてそれに気付いていないわけじゃない、手抜きをしたのは自分が分かっているのに、「ちゃんとやった」と言い張る癖を。
本当に邪魔。