ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

感動の安売りをしていませんか

こんばんわ、スズキです。

最近、感動するようなことありましたか??

そのレベルってどれくらいですか??

 

つまらない話、揚げ足をとったような話ですが、知恵を貸していただければと。

 

 

 そんなにいいことだらけ?

知り合いに、何にでも感動している人がいます。

あれがすごくよかったの、これもすごくよかつたの。

そんなことって、頻繁にあるもの?

 

10年に一度の、、、、とか、100年に一度のとか。

そういった表現でさえ、毎年聞くのだから、感動なんて薄っぺらいものかもしれない。

 

感動の閾値を下げれば、たくさん感動するだろうし、閾値を上げればクソみたいだと思うことが増える。

 

なんでもかんでも「感動」に仕立て上げて、それを見て喜ぶ。

そんな人が増えているように感じる。

 

 

素直じゃないから?

僕はひねくれている、素直じゃない。

どうしても正面から見ることができない。

その分を差し引いても、感動し過ぎている人が多いように感じる。

 

例えば、24時間テレビを見て感動した。

オリンピックを見て感動した。

誰かのブログを読んで感動した。

 

それは、本当に感動しているの??

便利な言葉、都合の良い表現なのではないだろうか。

 

 

バックグランドも知りたい

ある一面を見るだけで、感動してしまうのはもったいない。

そのモノのバックグラウンドを知っているのだろうか。

積み重ねがあって、それに感動するものでは。

 

金メダルをとったことは素晴らしい。

僕には無縁の世界のようだ、とてもすごいこと。

でも、そこに感動するのは、日々の練習や、毎日の努力。

そういったものが、何年も何年も積み重なった結果。

だから、ある一面を、キレイに切り取ってもあまり感動しない。

薄っぺらい感動になってしまう。

 

 

同調に過ぎないのでは??

あの人が言うから、あたしも感動する。

みたいな、そんなこともありそうな気がする。

本当に心を動かされたのかしら。

 

「自分は自分だから、尖っていく」と言う人も、そこに流されているような気が。

意識を高くもったところで、心が動く動かないは違うような気がするのだ。

 

 

「感動」する度に価値が下がる

僕の中では「感動」というのは、ハイクラスなもの。

だから、そんなに感動しないし、心も動かない。

それが「人間性が無い」とか「ドライなヤツ」とか、そうかもしれないけれど。

 

そこら中で感動するのは、感動の安売りだよ。

どんどん価値が下がっていくから、やめてほしいものだ。

 

そのモノの本質を、どこまで知っているんだい??

と思うことがよくある。

 

「いっぱい感動するサークル」みたいな気がしてならない。

 

 

もっと心を動かされたい

感動したいんですよ、もっと心打たれたいんです。

でも、そこにたどり着かないんですよね。

俯瞰的に見てしまうからでしょうか。

 

本当に感動したこと。

10年前、20年前、そのときのことを鮮明に覚えていたり、そのときの気持ちがリアルにでてくるような。

そんな深い深い感動があったら、是非聞いてみたい。

それは疑っているのではなく、そんな素晴らしい話を聞いてみたいと思うその気持ち。

 

 

心に響く小さな5つの物語 (小さな人生論シリーズ)

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