ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

正確に伝える言葉の選び方

こんばんわ、スズキです。

ブログで情報を発信する際、読み手は読み手のタイミングで、読み手の好きなように読みます。

お互いに顔を見て話すのではない、好きなときに読むのです。

同じ文章でも「読む」のと「聞く」のでは違う様に、同じ言葉でも相手への伝わり方が違います。

 

「日本語」をたくさん勉強し、意味も間違いないような文章を書いたとしても、それを読み手が、その通りに読んでくれないとすれ違いが起こります。

例えば「赤いトマト」と言ったところで、100人が100人とも同じ「トマト」を想像するとは思えません。

どれくらいの大きさで、どれくらの色で、どんな形のトマトなのか。

 

だからといって、それを具体的に書けばいいかというと、それはそれで違う。

文章にしろ、会話にしろ、おおよそ相手に預けている枠というものがあります。

それを、個人個人が勝手に想像するから面白いわけで、勝手に想像するから納得しやすいわけで、それを具体的にすればするほど、感覚の違いが出てきます。

 

そのストーリーに出てくる「決めて」になるような事柄以外はそれほど正確でなくてもよい。

全てを描こうとすると、読む方も疲れるんですよね。

 

ただ、ブログというもの、どこかで大きくバッサリと切り落とすことがあります。

「○○だ!!」とか、「○○すべき」とか。

それはそれでいいと思うんですよね。

 

それに対して「いやいや、そんな簡単じゃねーし」「そんな一方的な見方をしても」なんて言う人もいます。

そんなことを言っていては、世の中生きていけませんよ。

 

特にブログ界隈の話ですが。

「何を言っているか」というよりも「誰が言っているか」という方が重みがあるのではないでしょうか。

 

20歳の大学生、30歳のお母さん、50歳のおっちゃん。

いろんな人が自由気ままに情報発信しています。

 

お互いの世代、環境、育ちで思うことは違う。

それを万人にマッチするように話をするなんて無理だから。

「この人はこんな風に思っているんだなぁ」程度でいいのだけれど。

首根っこを捕まえたように、揚げ足をとってもしょうが無い。

 

だって、その揚げ足でさえ、揚げ足を取られるのだから。

そんなイタチごっこは無駄です。

 

重箱の隅をつつく様な会話をするときは、その根底に「相手のことをもっと理解したい」という気持ちが無ければ成り立ちません。

その曖昧になっている部分を明らかにすることで、もっと相手のことを知りたいと思う気持ち。

そういったものが無いと、ただの揚げ足取りです。

 

その発信している「言葉だけ」を読むのではなく、その言葉が発信されている「背景」をしっかりと読み取れるような環境でありたい。

だって、誰が言ったかで、その言葉の重みが違ってくるから。

考えていることが、受ける印象が違ってくるから。

 

ただ、その意見というのは、その人のその時の意見であって、人に押しつけるものではないということ。

 

僕のこの意見に対しても、賛成、反対、無関心、いろんな反応があるでしょう。

それはそれでいいんです。

それ以上は、何も求めていないし、それ以上は求められない。

こんな考えの人もいるんだなぁと思ってもらえればありがたいことですね。

 

どれだけ言葉を正確に選んでも、どれだけ言葉がしっかり伝わっても、それは文字でしかない。

本当に正確な思いを伝えるのは、言葉だけではなく、身振り手振り、表情、イントネーションなどが必要。

でも、それは文字にはしづらいものだから。

その人の人となりが分かるような、自分の生きてきた背景が分かるような、そんな文章が書ければ、そういった勢いさえあれば、多少日本語がぐちゃぐちゃでも伝わると思っています。

そのリアルな気持ちを、リアルなままにぶつけてほしいものです。

読み手は、それをリアルな気持ちだと思って読んでほしいけど、それを受け入れる必要は無い。

受け入れようと思えば受け入れればいいし、違うと思えば違うと思っておけばいい。

その差を埋めるのではなく、差を「差」として認識できることが一番重要ですから。

 

 

 

なぜ、上司は部下の揚げ足をとるのか!

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