ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

カメラで消耗しないために、ファインダー越しじゃない世界がある。

どうして写真を撮っているのだろうか。

 

「時間を切り取る」というなカッコイイ言葉や、「ファインダー越しの世界」というシャレた言い方。

そんなことは、もうどうでもよくなった。

 

僕が写真を撮る理由は、ただのマスターベーションに過ぎない。

自己満足の塊、その手段として"カメラ"を用いただけ。

 

ダンスで表現できればそれでいいし、歌で表現できればそれでいい。

たまたま僕の手元にカメラがあったというだけなのだ。

 

 

ネットのお友達とディズニーシーに行ったんだけど。

デジカメとビデオカメラを持って出かけた。

中に入って1時間くらいはカメラ片手に走り回ってたけどね。

楽しむべきことは、ファインダーの中じゃないと気付いたわけで。

 

1枚の写真から、いろんな情報が出てくるときがある。

ストーリーがあったり、音があったり、暑さや悲しさ、写真を見ている人の人生や過去の様子。

そういったものが、ぶわーっと出てくる写真もある。

 

でも現実で、今この場所で楽しめる空間があるなら、そっちに没頭してもいいのかなーって。

仲間で一緒に遊びに行ったからこそ、その場を楽しむのも悪くないなと。

 

ファインダーを覗くと、そこにあるのは自分だけの世界。

「今」をどれだけ切り取ることができるか、という自分自身との闘い。

僕が輪の外の人なら、ズバっと写真で切り取りたいと思うんだけど、同じ空間に同じ楽しみを共有できる仲間がいる中で、他の世界に逃げるのはやめようと思った。

 

カメラは当たり前になり過ぎているけれど。

みんなで旅行している最中に、ずっとスマホを触っているような人がいたら、ちょっとどうかなーと思ってしまう。

でも、カメラだとそれが比較的許される。

 

本気で写真を撮っているときって、その場のことなんて考えないんです。

自分がどれだけ満足するか、誰かにお願いされたのであればクライアントがどれだけ満足するかを考えるだけ。

だから、その旅行に行くメンバーが「誰」とか関係ない。

 

 

「仲間で純粋に楽しむ」という楽しさを知る

「もっとリアルに今を楽しめばいい」と言っている人の気持ちがよく分かった。

観光地に行けばみんながスマホで写真を撮っている。

 

本当の楽しさはそこじゃないんだよ。

もちろん要所要所で写真は撮るし、それを見返して昔話に花が咲いたりする。

だけど、そんなに写真を撮る必要ってあるのだろうか。

仲間と一緒に遊んでいるときに。

 

 

隣で笑っている仲間の顔や声、その場の空気感。
ある一瞬にウエイトを置いてしまうと、その他の時間はどうでもよくなる。

 

「今日は何をするのか」

 

写真を撮りにきたのか、みんなと遊びにきたのか。 

 

写真を撮るときは一人がいい。

フォトウォークくらいカジュアルならそれもいいけど。

自分自身と話をしながら、自分が求める写真を撮るということ。

 

カメラ、写真を使って自分を表現する。

だけど、せっかく仲間がいるのだから。

カメラに逃げないようにしたい。

 

今を楽しむ工夫を。

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