ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

コミュニティに属するということ

オンラインのコミュニティに属していると、笑ってくるヤツがいる。

コミュニティに何を求めているのかは人それぞれ。

 

僕がコミュニティに属するのはどうしてだろうか。

 

コミュニティって、そんなに立派なモノじゃない。

参加しているコミュニティは、それぞれ頑張っているけれど。

一方で、そんなに頑張っていないのも事実。

 

コミュニティってジムや習い事のようなものだから。

行きたいときに、行きたい人が、行けばいい。

もちろんそこに、喉から手が出るほど欲しいものがあれば頻繁に通うだろうし、何もなければ連絡すらしない。

 

例えば、スタバに毎日行ける定期券があるとしたら。

一定数の人はそれを買う。

買うけれど、毎日行く人はどれくらいいるのだろうか。

 

コミュニティって、そういう気がしているんだけど。

 

僕自身が定期的に足を運ぶコミュニティはいくつあるだろうか。

身近なところだと、家族、職場、町内会。

通っているジム、習い事をしている教室、定期的に交流会をしてくれる場。

オンラインのコミュニティもいくつかある。

 

僕はコミュニティのつまみ食いをしている。

 

多くのコミュニティにいるメリット。

  • 気分次第で居場所が作れる。
  • 一箇所に依存しない。
  • 静観してみることができる

 

多くのコミュニティにいるデメリット。

  • 予定がかぶる
  • 費用がかさむ
  • 頭を瞬時に切り替えることができない

 

実際のところは、多くのコミュニティにいて面白い。

あるところでは問題が炎上しっぱなしだったり、あるところでは消えたら燃える、消えたら燃えるの繰り返し。

かと思えば、ほとんど動きがないところや、いつの間にか無くなっているところも。

 

僕自身が一番良かったと思うのは、自分が参加するコミュニティに偏りができること。

 

 

知らず知らずのうちに、自分が求めていることが変わる。

動き回っているときに役立つコミュニティ、内省するときに役立つコミュニティ。

攻めのとき、守りのとき、学びたいとき、教えたいとき。

それぞれマッチした場所が近くにある。

 

自分がやりたいことをできる環境、自分が求めているものを得にいく場所。

それが、僕の中のコミュニティだった。

 

最近は、少しコミュニティから離れたところにいる気がしている。

今は自分自身で考えるときなのだろう。

もしくは周りに振り回されて大変だった時期が続いたとか。

 

自分自身のコンディションを理解するために、モノサシとしてのコミュニティ。

まだまだフラフラし続けるんだろうな。

 

 

コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書)

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