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【エッセイ】最近の若い人は有休を取ることが当たり前だと思っている。という言葉について

こんにちは、スズキです。

 これは、若者と有給について云々という内容ではございません。

 


誰が思ってるの?

ツイッターだったが、2chだったかで見かけたフレーズ。
「最近の若い人は有給を取ることが当たり前だと思っている」

この一文に、モヤモヤしてしまった。
2通りの読み方ができたからだ。

 

1.最近の若い人は思っている、有給を取ることが当たり前だと。
という考え方。

2.僕(筆者)が思っている、最近の若い人は有給を取ることが当たり前だと。

なんとなくだけど、どちらも「若い人は有給を当たり前に取得する」というニュアンスが伝わってくる。

が、そう思っているのは誰なのか。
ということが気になるのだ。

 

 

理解に時間がかかり

何も考えずに書かれた文章は読みづらかったり、別の解釈をされたりする。
小さなズレで済めばいいものの、いつの間にかそれは大きなズレになり、真逆の意味になってしまったりする。

 

読みやすい文章でないと、頭の中で話しの流れがうまく組み立てられない。
「ん???」と思ってしまったときに、頭の中の話が止ってしまう。

その単語を単純に知らないのであれば、少し頭の片隅に置きながら話を聞くことはできる。
何度かその単語を聞いていれば、それがどういう意味か、おおよそ理解できることもあるからだ。

そうではなく、いくつも頭に浮かんでしまったとき。

 


どれだろう、どっちだろうと、迷ってしまう。

迷い出すと話は頭に入ってこない。

ブログに限らず、自分以外の人の作品、文章や絵にはケチをつけるのが簡単だ。
「ここは読みづらい」「この表現はおかしい」「誤字脱字がある」
「このパースは狂っている」「本物と色味が違う」

それを分かっていながらも、自分の文章、文字については、的確に判断ができないのだ。
そりゃそうだろう、自分が一番いいと思って書いているものだから。

 

だからこそ一度、足を止めてじっくり見てみることも必要なのだろう。
推敲した文章を、より自分らしい文章の表現を考えてみることが重要になってくる。

が、それをすると、今度は自分らしさがどんどん減ってくる。


当たり障りの無い、よくある平ぺったい文章に。
わかりやすさを求める余り、文章が冗長になっていたり。

 


無理に頭がいいように見せなくてもいい。

無理にカッコつけなくてもいい。

冒頭の「最近の若い人は有給を取ることが当たり前だと思っている」という一文。
読み手が悩むような書き方であれば、そういう人なのだと思う。


言い方が曖昧だったり、自分視点でしか見ることのできない人かもしれない。

そういったバックグラウンドのところまで、この一文で伝えることができるのだから。
実は素晴らしい一文なのかもしれない。
読んだ人を迷わせる文章。

 


もし頭がスッキリしている冴えた人の文章だったら。
それにも、その人らしさが滲み出るような文章になっていたことだろう。
書いた人の全てを表してくれているような。

キレイに読まれなくてもいい。
カッコよく書かなくてもいい。

 

僕の等身大サイズが、そのまま伝わってくれれば、それが一番なのだ。
もし、万人にウケたい、みんなから愛されたいと思う文章を書くとすれば。

それは、僕自身が、万人にウケて、愛されるような人間になる必要があるのだと思う。
筆だけで騙されるほど、世の中は甘くないのだ。

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