ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

墓参りはお盆前の夏のイベント

こんばんわ、スズキです。

7月も終わりに近づき、お盆休みに近づいていますね。

皆さん、お盆には実家に帰ったり、旧友と遊んだりするのでしょうか。

中には「お墓参り」に行く方もいらっしゃるでしょう。

 

さて、どうして墓参りに行くのか、僕はよくわかりません。

そう言いながらも、今年は8月7日に墓参りに行く予定です。

ちゃんとスケジュール帳に書いてあります。

墓参りについて、勝手に考察してみました。

 

 

情景小物022 お墓A 現代風

情景小物022 お墓A 現代風

 

 

 

僕が墓参りに行くようになったのは、幼稚園児のころからだ。

自宅より車で2時間ほど離れたところに墓があった。

何が目的で墓参りに行くなんて、そのころは考えもしなかった。

両親に「出掛けるから着いてきなさい」と言われ、とりあえず着いていった。

どこにあるのか分からない墓に行き、水を撒いて、花を挿して、お参りをしていた。

 

小学生にもなると、休みの日に友達と遊びたいとか、家でマンガを読んでいたいとか、ゲームをしていたいとか。

そういうことを思うようになる。

幸いなことに、ばあちゃんと一緒に暮らしていたので、子供だけでの留守番というのは無かった。

だから家にいるという選択肢もあったのだが、両親特に母親がそれを許さなかった。

長男だから墓参りに行くのは当然だと、だから僕は着いていかなければいけない。

弟は次男だからご自由にどうぞ、という考えだった。

その分、お兄ちゃんだから、と優遇してもらえることも。

そういった意味で、よくバランスが取れていた環境だったのかもしれない。

 

そんな母親も嫁いできた身だから、よその家の墓ではあったが父親と一緒に墓参りをしていた。

もちろん僕も一緒に。

だから、お彼岸、お盆、年末というのは、墓に行くものだと、小さいころから刷り込まれていたのだ。

 

そうなると、なかなかこの気持ちは抜けないわけで、この時期になると、やっぱり墓参りに行かないといけないと思うようになる。

小さいころからそうやって育てられてきたから、墓に行かないとムズムズして気持ちが悪いのだ。

 

墓参りが何のためにあるのか、難しいことは分からない。

お地蔵さんに小便を引っ掛けることができない気持ちとよく似ている。

 

昔の上司との話だ。

「週末は何をしていたの??」という、よくある世間話。

「お彼岸だったので墓参りに」と言うと、なんだそれ??みたいな顔をしている

 

上司は長男だったが、ご両親がそういうのは必要ないというような考えの方だったらしい。

だから、彼岸に墓参りという感覚が無いという。

僕にとっては衝撃だったが、墓参りをしないということも当然のようにあるのだろう。

 

法律も変わり、家督という考え方も少なくなってきた。

僕は「長男だから~」と言われ、墓と仏壇を守るように育てられてきた。

逆に弟は自由気ままに育てられていたと感じる。

その分、色々と優遇されてきたのだが、まぁウチはそういう考えで育ってきたので、それが普通と思っている。

 

あとは世間体とか見栄とかそんなものだろう。

お盆の時期、お彼岸の時期に、花が無い、ずいぶん枯れているような墓だったら。

自分だったらイヤだなぁと。

お隣さんみたいに、節目節目で来てくれて、お手入れしてあったほうがいいなぁと。

本当に周りとの比較だけれど、そういう気持ちが墓参りには大事だったりする。

 

あとは、どこか空の高いところで見てくれているような人がいると思うから。

最近は絶好調なことが続いている。

そういうのも先祖とか関係なく、誰かが見守ってくれているような気がするから。

どこかで徳を積んでおこうという気持ちだったり。

 

純粋に墓参りから得られるものがどれだけあるかと言われれば、無いと思っている。

交通費が発生して、お供えを買って、お花も買って。

でも、それが染み付いているからしょうがないし、墓参りを「しない」という選択肢が今のところ見つからない。

 

そんな教育をした母親も、ずいぶん前に遠く旅立っていった。

父親は代替わりの準備をしているのだろう。

そういったコトを随分ボクにやらせるようになった。

 

年4回は墓に行く。

朝起きたら「おはよう」と言うような、ただそれだけの気分だ。

今年は8月7日に墓参りに。

小さいけれど、大事な僕のイベントだから。

 

葬儀とお墓の「新常識」 (徳間ゆうゆう生活シリーズ)

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