お金とは、人とつながらないための「免罪符」である。
ブログを書くことで生計を立てているプロブロガーのイケダハヤト氏の言葉です。
お金を注ぎ込むことで、レベルの高い人のいる「空間」を買うことだと思っていた。
でもそれは、人との関わらない「権利」を買うことだったようだ。
自分のコンディション次第ではあるが、やはり免罪符を使いたくなるときもある。
その時は、少しばかりお金を投じてグリーン車に乗ったり、個室にしたりと、どこかでコストをかけていた。
どういう時かと言われれば、それは人と関わりたくない時だっただろう。
確かに氏が言うように、人と関わること云々がお金に結び付いているような気がする。
だからこそ、人と関わるようなことを選ぶか、お金を潤沢に用意するか、そういったことになるのだろう。
一昔前であれば、どちらかというと積極的に人と交流するのが主だった。
近所のおばさんが声をかけてくれたり、知らない人ともよく話した記憶がある。
それは、僕が小さかったからなのか、時代の流れなのか分からないが、最近は関わりをシャットアウトしているケースが多い。
それによる弊害(と思われるケース)が多発していると感じるのは気のせいだろうか。
個が主になり、一人で考えたり、一人でこなしていかなければいけないケースが多いように思う。
その中で判断を誤ったり、行きすぎたことをしたりと、周囲の目が無くなった分、自己責任が強くなってきたように思う。
それじゃあ人と関わらないほうがいいのか、そうでないほうがいいのか。
人と関わらない方を選ぶなら、お金が必要になるということだろうか。
人と人との繋がり、付き合いで、金銭的に楽になってくる部分はあるだろう。
交際費というものは増えてしまうが。
ただ、何をするにしても自分でやらなければいけないというのは、よりコストがかかるものなのだろう。
具体的にこれが「免罪符」だと使った記憶は無いが、そうなるであろうことが予想できた。
お金で解決できることもたくさんあるから、それで人間関係がどうにかなるなら使ってみたいと思う瞬間もある。
そもそもお金というもの、何かしらの役務の交換など、対価となるものの設定がうまくいかなかったからできた「道具」なのだろう。
免罪符という言い方は少々過激ではあるものの、お金によって解決できることが多い。
ということは、それはいい武器になるのかもしれない。
今日はバスを使って帰るが、それは黙って、誰とも関わらないで帰りたいから。
人と積極的に交流する自信があればヒッチハイクで帰るかもしれない。