人が生きていくにおいて、必要無いものはたくさんあります。
それがあるから生活に潤いがでるとか、やる気がでるとか。
そういったものもあるとは思うけれど、それって本当にいるのか??と言われれば無くても大丈夫なものがある。
例えばそういったものが無くなったとして。
僕の場合は、Bluetoothでつながるヘッドフォンが壊れた。
気合いを入れて買ったのだけど、扱いが雑だったのだろう。
可動部分が完全に壊れてしまった。
ノイズキャンセル機能もついていたので、通勤時や家の中でも集中したいときなど、それを使っていた。
しかし、それが壊れてしまった。
ちょっと値が張る物なので、修理もせず、新しいものも買っていない。
別に生活必需品ではないから、優先度が低いのだろう。
というのと実際のところ、あまり満足していなかったところもある。
音にはこだわる気質なので、好みにマッチしないとイヤなのだ。
それからというもの音楽を本当に聴かなくなった。
音楽というより、音を嫌うようになった。
今のテレビは外部スピーカーもつけていないので、音が薄っぺらい。
だんだん頭が痛くなってくるのだ。
音楽を聴くという習慣がなくなってしまった。
代わりKindleナントカというのが始まった時期でもあった。
僕の求めるものが音楽から書籍に変わったのだ。
自分自身の変化というもの、キッカケはどうでもいいような小さなことだったりする。
今回もヘッドフォンが壊れていなければ、音楽を聴き続けているだろうし、Kindleには興味がないかもしれない。
そういえば最近、iPhoneの容量が足りなくなってきた。
「ストレージが満杯です」というようなメッセージがよくでてくる。
今までだと、どうやって空きを増やそうか、重複しているような写真や、使ってないアプリを探しながら空きスペースを確保していた。
それが、音楽を聴かないようになってから、真っ先に「ミュージック」から躊躇無く削除するようになった。
これも、環境の変化からの気持ちの変化だろう。
僕のiPhoneに取り込んでいた音楽はどんどん消えていった。
断捨離、ミニマリストと言われて久しいが、今の時代はいろいろなものに囲まれすぎているのだろうか。
便利に使えるソレが溢れているような気がする。
モノが溢れてくる、そうすると次に求められるのは、断捨離、ミニマリスト。
便利な環境から、少し不便な環境へ。
隣の芝生は~~とか、無い物ねだり~とか言われるんでしょうが。
便利なモノに囲まれていると、不便なものに憧れたり、それを求めたりする。
その不便な環境が続けば、いずれ便利なモノに囲まれたくなるのだろうと思うのだが。
ないものねだりをしているのだろうか。
たまに不便なモノが恋しくなるんだよね。
あぁヘッドフォン欲しい。