「何をしているときが一番楽しい???」と聞かれたら、どう答えるだろう。
「寝ているとき」や「ご飯を食べているとき」という回答があってもおかしくない。
睡眠欲、食欲というのは、人が生きていく上で避けては通れない「欲望」なのだから。
本能のままに寝て、本能のままに食べていると「堕落した人」と烙印を押されてしまう。
寝ること、食べることは大事なのだが、弊害もあるということだ。
先ほど食事をしたばかりの、腹いっぱいな気持ちで弊害についてお伝えしようと思う。
食べているときは幸せ
「食べる」ということは、幸せだ。
特においしいモノ、好きなモノを食べているときは自然と笑みがこぼれてしまう。
食事をするときには「何を食べるか」ではなく「誰と食べるか」も重要だと言われる。
しかし、ベースになるのは、何を食べるかということで、おいしいモノがあるからこそ会話も弾み、あの人との食事が楽しくなるのである。
多くの人が1日3食のスタイルだろうから、毎日3回も幸せになるチャンスがあるのだ。
そんな幸せを運んでくれる食事だけれども、しばしば食べ過ぎてしまう。
調子にのって食べてしまうのだ。
絶好調に調子に乗っているときは「ビーフorフィッシュ??」と聞かれたら「両方!!!」と答えてしまう。
僕が思う食事というのは、すごく緩いものなのである。
食べ過ぎると
そんな緩い緩い食事タイムを、本能のままに過ごしていると弊害がある。
いつの間にか「食べ過ぎ」てしまう。
そんなに食べたらダメだよ!!!と天使のスズキが囁いているのだけれど、悪魔のスズキがいーじゃんいーじゃん食べちゃえよ。と言うのだ。
「ちょっとくらいいいかな」と思ったら最後、止まらなくなるのだ。
あー腹いっぱい、となるまで食べてしまう。
その満足感は、もう、なんというか、他のモノには無いほどのパワーを持っているのだ。
うごきたくなくなる
さて、そんな満足感を堪能していると、次に襲ってくる弊害は「動けない」ということ。
というより、うごきたくなくなるのだろう。
座敷であれば足を目一杯崩して、トドみたいになってしまう。
うごきたくない、もうちょっとそこにいたい。
すぐに動くと横腹が痛くなるし、もうちょっとそのままでいたい。
まったくやる気が出ないのです。
ご飯をモリモリ食べた時点で、今日のミッションは終わりです。
やる気もゼロ、うごきたくもない、酷いものですね。
きもちわるい
やる気ナッシングの状態で、次に襲ってくる弊害は「きもちわるい」だろう。
満腹度というのは少し遅れてやってくる。
ちょっと物足りないかなぁというくらいで止めておけば、ちょうど心地よい満腹感に満たされる。
それが、本能のままに食べてしまうと、食後30分くらいできもちわるくなってくる。
要するに食べ過ぎなんですよね。
でも、満腹度が少し遅いので、自分では気付いていない。
いや、本当は気付いているんですよ、何度も同じ経験をしているので。
その経験が活かされないくらい、食べ物のパワーにやられているんですね。
それもひどいときには翌朝まで引きずることがあります。
飲みに行った帰りに定番のラーメン。
次の日、朝からグロッキーになってしまう、あぁ僕はなんて学習能力が無いのだろうか。
記憶力も判断力も欠乏しているようです。
どうでもよくなる
そんなことが続くと、まぁどうでもよくなるんです。
しまりが無い人間に成り上がってしまいます。
まぁ生きていく上で「ご飯を食べる」という行為は非常に重要なものなので、それが満たされているだけで満足。
狩りをしなくても、獲物が目の前にいるという状況。
何を頑張るのでしょうか、ご飯に困っていないのにね。
そうすると、やる気が欠如してくる。
どうでもよくなるんですよね。
良い言い方をすれば、モノゴトに寛容になるということです。
逆にお腹が減っている状態というのは、イライラしがちなのでしょうか。
食料で満たされれば、みんな幸せになるのかなぁ。
ズボンが入らない
幸せだけだと、何の問題もないんですけど、食べ物に取り憑かれた生活をしていると、新しい問題が。
ズ、ズ、ズボンが入らない。
昔のスーツ、昔の礼服が入らないぞ!!! と焦っていらっしゃる方をたくさん見てきました。
昔はスリムだったのになぁ、と愚痴っている人もよく知っています。
本能のままに生きていると、ズボンが入らなくなるんです。
多くの方がそれを経験しているとすれば、皆さん素直に生きていらっしゃるのでしょう。
「太る」ということは、「吸収するエネルギー」>「消費するエネルギー」ということでしょう。
どんどん食べてしまう、それもハイカロリーのもの、吸収されやすいものを。
「生きる」ということを考えると、それは非常に大事なことだけれど、人間という世界においては「大賛成」と言えないことも。
ズボンが入らなくなっているということは「自己管理ができていない」と見なされることも。
どこかでバランスが必要になるわけです。
身体が重い
そしたら、ジャージみたいな、ノビノビ素材の洋服に変えましょうか。
そうすれば調整できる範囲が広がりますからね。
ズボンも長持ちするでしょう。
無理に窮屈なモノを着る必要もなくなります。
余裕がある服っていうのは、幸せと同時に堕落させますね。
また、ジャージを着たところで、スポーティーに動けないのも現状です。
体重が増えると、身体が重い。
本当に重いっっ!!!って思いますよ。
階段を避けるようになったり、一駅歩くのを止めてしまう。
時間が余分にかかっても、楽ちんな道のりを選ぶ。
すぐに座ろうとする。
立っている時だけでなく、座っているときも。
起き上がるのに一苦労する。
座敷で座るのが窮屈。
そもそも座るのも窮屈になってくる。
こりゃいよいよダメ人間ですな。
負のスパイラル
そうやって、食べる→満足→食べる→満足
太る→身体重い→運動したくない→太る→身体重い→
と、負のスパイラルが続いていきます。
あぁ、このまま堕落した人間になっていくんだなぁ、と。
自分から立ち上がらないと、このまま負のスパイラルから抜け出せません。
本当にこのままで良いのだろうか。
本能のままに生きていてよいのだろうか。
本能的には食べていたいけれど
食べていたいけれど、どこかで少しだけ我慢しなければいけないのだろう。
そうじゃないと、ダメ人間になってしまうことは容易に想像できる。
僕たちの本能は、まだ何百万年前のそれと変わっていないのだろう。
まだ狩猟生活をしていたころ、作物も満足に採れなかったころ。
エネルギーを吸収しなくては死んでしまう、餓死する。
今の時代、僕の生きている環境はエネルギーを容易に吸収できる。
少しのお金で満足する食事ができる。
苦労せずに食事にありつける。
その本能と現実のギャップを頭の中で修正していかないと、ただのデブになってしまう。
腹八分目に医者いらず
そういえば、ばあちゃんがこんなことを言っていた。
「腹八分目に医者いらず」
昔の人は、本当にシビアに見ていますね。
最近になって「腹八分目に医者いらず」という言葉が身体に重くのしかかっています。
まさにその通りだ、と。
暴飲暴食はダメなんですよね、生活する上でも、生きていく上でも。
最近では、1日1食の食生活を送っている方もいらっしゃるようで。
どこかで「食事」というものを、真剣に考えなければいけないときがくるのでしょう。
僕にとっては、それが今なのかもしれません。
単純に「うごきたくない」と最近思うようになってきたので。
食事をしているときが、至福のひとときになっているので。
このままじゃいかんなぁと、強く強く思っているところでございます。
まずは「腹八分目宣言」をしながら、基礎になる部分を整えていければと思っています。
追い風ビュンビュンブロガー スズキでした。