揚げ足を取る
人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりする。
揚げ足を取ることが重要なとき
大きな括りで同じ意味だと感じているのは「重箱の隅を突く」
それが有効に作用することもあれば、ただの嫌がらせになるときもある。
何かを定義するときや、前提として共有するときは、ブレないほうがいい。
だからといって、それがちょっと違ったところで、ここぞとばかりに揚げ足を取る人は信用できない。
重箱の隅を突くことで、本当のゴールにたどり着くこともある。
人の痛みをグリグリとほじくることで、しっかりと向き合えることもある。
が、そうでない場合、ただの揚げ足取りになるのは、もったいないし無駄。
まぁ、それが無駄ということに気付けば無駄じゃないが。
そういったことを、意味も無く突き詰めていくことは無駄。
一般の感覚が無いのはツラい
よく「一般的に」「常識では」なんていうと、どこの誰が決めたんだ!!とか、それはあなたが勝手に決めたこと。
なんて言う人がいる。
一般的なものは「一般的」で、常識的なものは「常識」なのであるが。
それを深く考えた上で、「一般的」「常識」について質問をしているのか。
そういった言葉を、ただ正面から捉えて噛みついているだけなのか。
後者だとしたら、そういった人とは付き合いたくないものだ。
大きなモノから小さなモノへの流れ
モノゴトには大きな枠、小さな枠がある。
大きな枠では気付かないような例外、違いが小さな枠だと発見しやすくなる。
別の良い方をすれば、大きなモノには例外が多く含まれている。
だから、大きな枠で話をしているときは、小さな小さな問題を引き出してくるのはナンセンス。
それを引き出すことは大事だけれど、そこだけをクローズアップして、あたかも大きな問題のように取り上げるのはナンセンス。
そういう間違い探しをしているのではなく、具体例を示しているだけ。
そこには例外が含まれているのは当然のことだ。
スカートの裾を踏む人にはなりたくない
そういう小さな、くだらないことで、あーだこーだ言うのは残念。
もっと気楽に楽しくすればいいのにね。
誰かが記事を書けば、良い面、悪い面、共感できる面やできない面。
そういったものがあるのは当然なんですけどね。
あんまりヒートアップしても、それはつまらないですよ。
結局のところ、そこでしか表現できないのですから。
皆さん優しいんでしょうね。
小さな点を誇張しても面白くない。
せっかく、あーだこーだ言うパワーがあるなら、もっと上の土俵で示してほしいです。
実力でそれが示せるようになりたいものです。