ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

好きな気持ちは暴力的

好きな気持ち

それを表現するにはどうしたらいいか。

「好き」と言えばいいのか、どうやってアピールすればいいのか。

 

好きな人、モノ、場所、時間など。

好きな気持ちをどう表現しようか。

 

好きという気持ちは一方通行で暴力的だ。

好きな気持ちが強ければ強いほど、居心地が悪くなる。

好きという気持ちが一方通行だから。

 

好きという気持ちと引き換えに、自分に興味を持つことを強制する。

「僕がこんなにも好きなのに」

相手にされないとムシャクシャする。

非常に暴力的な考え方だ。

 

例えば、すごく好きな人が遠くに住んでいるとしよう。

積極的にコミュニケーションをとったり、連絡をしたり。

「好き」のレベルは色々あるが、僕がその人のことを嫌いじゃないことは分かるだろう。

 

その人が僕の住む街に来ていたら。

どうして連絡をくれなかったの?

と思ってしまうわけだ。

少なからずそういう気持ちになることはあるだろう。

「連絡くれればよかったのに」って。

 

それは会いたいとか、ご飯でも行こう、とかではなく、僕のテリトリーに入ってるくるのなら、連絡をするべきだ!

というような気持ちなのではないだろうか。

その「連絡する」という行為で、悦に浸るというものだ。

 

 

好きという気持ちは一方通行だから。

それを相手に理解してもらうのは難しい。

そもそも感情というもの、理解してもらうのが難しい。

でも、平気で口に出すわけで。

好き、好き、好き。

 

そう言って、何を求めているのだろう。

 

かの有名な文豪、夏目漱石はI love you.を「月がキレイですね」と訳したという。

 夏目漱石の一言だけで、その時代の人を一括りにするわけではない。

が、「月がキレイですね」だ。

相手への気持ちを、直接伝えるのではなく「月」というモノに置き換えて共有していた。

昔の人は、思いを共有していたのだ。

 

ドキドキする気持ち、心がキレイになる気持ち。

そんな気持ちが「好き」=「I love you」に込められていると訳したのだろう。

 

今の時代はおおよそ個人が基準となっており、オレが好きだ、あたしが好き。

そんな気持ちをどんどん発信することができる。

自分から相手に向けて、勝手にも思いを伝えることができる。

ここに相手の同意は必要ない。

 

いつの間にか「好き」という気持ちは、共有するものでなく、伝えるものに。

そこに自分自身の強い強い思いを載せて。

 

「好き」という気持ちは、とてつもないパワーを持っている。

好きな人への気持ちというのは計り知れないものだ。

それが相手に伝わることを考えると、そっと心に留めておくのも、悪くないのだろう。

 

 

漱石大全

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