世渡り上手な人
そこには2種類の人がいる。
1つ目は、何でも器用にこなす人。
柔軟性がある、適合性が高い、誰にも認めてもらえる。
そんな素敵な人が、知り合いに何人かいるだろう。
もう1つは「不器用な人」
これは親切な人に恵まれることで、世の中を渡っていける。
なぜ不器用な人がいいのか。
こんな話があった。
外国人の例
不器用な例として、日本に住む外国人を例に。
言葉も文化も違うから、日本では生きづらいだろう。
思いが通じない、習慣に馴染めない。
そんな外国人の方がたくさんいるはず。
一方で、流暢な日本語を話す外国人もいる。
あたかも日本で生まれ、日本で育ったかのようなトークが身についている。
一般的に考えれば、後者の方が日本人と仲良くできると思いがちだが、そうではない。
前者の方が楽しくワイワイできるらしい。
養老孟司先生の話
こんな話を聞いた。
言葉が流暢に話せる外国人と一緒にいると、日本人側が相手を外国人だということを忘れてしまう。
そのくらい流暢なのだろう。
だが、育ってきた環境や文化が違う、マナーや礼儀も知らない。
当然と言えば当然なのだが、それを忘れてしまう。
一方で日本語に不慣れな外国人の場合、日本人側が歩み寄ってくれる。
多少言葉遣いが悪くても、マナーを知らなくても「しょうがないね」と許してくれる。
それは相手が外国人だからという「認識」があるからだ。
だから、英語が不得意なまま、外国に行くと親切な外国人に出会える。
よく分からない英語を真剣に聞いてくれて、手助けをしてくれる人なんていうのは、親切な人だ。
そうやって、ふるい分けができる。
目からウロコ
養老先生の、この話は「目からウロコ」だった。
普通に考えたら、逆じゃないのか。
流暢に話ができるから、相手のエリアに溶け込めるのかと思ったら。
下手なほうが親切な人に巡り会えるなんて。
もちろん対象となる相手の数はぐんと減るだろうけど。
その中でも、親切に相手をしてくださる人、そんな人と出会えるんだな。
考え方、モノの見方
僕には、不器用なほうが、親切な人に恵まれるなんて思ったことは無かった。
自分の価値を上げたい、無理にでも頑張らなきゃと思っていた。
が、そうすることでの弊害もあるようだ。
確かに思い当たる節はある。
僕は携帯電話やスマホが好きなんだけれど。
全く知識がない相手であれば、噛み砕いて分かりやすく説明することもある。
今までは何でも「できるほうがいい」と思っていた。
養老先生の話を聞いたことで、新しい面を発見できたような気がする。
思考停止にならないように、違った見方ができるように。
柔軟な頭になりたいと思った話だった。