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良い写真とは何か、日常のひとコマを切り出す難しさ

こんにちは、スズキです。

趣味で写真を撮っています。

↓インスタグラムにも、写真をいくつか投稿しています。

スズキ@白黒写真家さん(@acogalecom) • Instagram写真と動画

 

写真で何を伝えたいか、どうして写真を撮るのか。

と聞かれると、具体的な気持ちがあるわけではなく。

ただ「小さなころから手元にカメラがあったから」という理由なだけで。

 

どこかで、よいパートナーになっているのは間違いないが、どこかで疑問に思うことも出てくる。

それは小さな頃は気づかなかったこと。

この年齢になって、気付き始めてきたことだった。

 

 

良い写真とは何か

写真を撮るときに気にしていること。

それは「良い写真とは何か」ということ。

 

アート写真、広告写真、スナップ写真。

分野によって、ゴールは違うけれども、良い写真とは。

「相手に伝えたいことを伝えられる」というのが、良い写真の条件だろう。

 

構図が、ピントが、カメラが、という問題ではなく、伝えたいことが伝わるか。

臨場感、その場の空気、そういったものが相手に伝わるかどうか。

 

最後の目的はそこにあるのだと感じる。

 

 

伝わる写真を撮るために

「伝わる写真を撮るために」ということを考えることで、ようやくカメラの操作について学ぶことになる。

このシーンを切り取りたい、これを伝えたい。

強い思いがあればあるほど、その1枚に集中し切り取ることになるのだ。

 

その時に撮影者が感じたこと、何を伝えたいか考えたこと。

それが写真となって表現されること。

ここに写真を撮ることの面白みがある。

 

 

キレイな写真は被写体のおかげ

すごく素敵な写真があったとき。

キレイな写真があったとき。

 

その感想が「スゴい」「キレイ」だけであれば、失格だと思っている。

例えばこの写真。

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名古屋市中区にある「オアシス21」という建物の一部。

この写真を見て、キレイだね、ステキだね、と思っても。

それは、この「オアシス21」がキレイでステキなだけであって、写真が良いわけではない。

 

この「キレイ」「ステキ」から撮影者が感じたもの、心を動かされたものが伝わって。

ようやく一人前。

 

キレイなモノを撮ったら、キレイに撮れるのは、至極普通なわけで。

その一つ、二つ上の気持ちをぶつけていきたいのだ。

 

 

加工によるモノ

また、画像編集も最近は容易になっている。

パソコン一つで色味が変わってくる。

 

「写真」といったときに、二通りの解釈がある。

  1. カメラでシャッターを押したそのモノ
  2. 撮影した画像をレタッチして仕上げたモノ

どこがゴールか、ということだが、最近はレタッチまでして「写真」だ、と言われることが多い。

単純に撮っただけではなく、それを自分で編集して完成させる。

 

例えばこの写真

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ただの東京駅の写真。

白黒にしたことで、印象がグッと変わる。

が、それは写真が良いからなのか、白黒だからなのか。

 

白黒写真を見慣れなくなった今だからこそ、興味がわくだけではダメだと思う。

そんな僕自身、インスタグラムでは白黒で楽しんでいるのだが。

 

悪いというわけでなく、手抜きだと感じてしまう。

もちろん白黒にすることで、本当に伝えたいもの、あるいは際立たせたいもの。

そういったことが伝わることもたくさんある。

 

むやみに加工する、珍しい加工をする。

それで興味を持ってもらうのは、写真(=カメラマン)というより、アーティスト的な考えなのかもしれない。

 

 

ただ「撮る」からの卒業

何となくシャッターを切れば、とりあえず写真ができる。

何百枚、何千枚と写真を撮れば、1枚や2枚、面白い写真ができる。

 

それでよいのだろうか。

ファインダーを覗いたときに、伝えたいものがある。

記録したいものがある、時間を止めておきたいものがある。

 

そういった気持ちを、より強く持つこと。

もっとその気持ちにウエイトを置いてもいいのかなぁと。

 

ブログでも、写真でも。

何かを伝えたい、相手に伝えたい。

そういう気持ちを、もっともっと大事にしていく。

マスターベーションで終わらせないようにしたい。

 

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