こんにちわ、スズキ(@acogale)です。
自分が知らないことって何ですか。
「分からないことが分からない」なんて言ったりしますが。
知らないことってどんなことがありますか。
今日一番驚いたことは「自由律俳句」というものがあること。五七五の定型でなくてもいいらしい。
— スズキ@追い風ビュンビュン (@acogale) 2017年1月7日
顔ハメ会長でもあるジャンプ力に定評のある前田氏の俳句は自由律俳句だったのか。
俳句は五七五だから、、、、と、自分の知っている知識が全てだと思うことは本当にダメだと思った。
僕の最近の知らなかったこと。
俳句には「自由律俳句」がある。
自由律俳句とは、五七五に縛られないスタイルの俳句だ。
おいおいちょっと待てよ。
俳句というのは、五七五があってこその俳句じゃないのか。
チャーシュー麺のチャーシュー抜きのような衝撃を受けたのだが。
ぶっとび具合が大好きなこのサイト
「ジャンプ力に定評のある前田」
俳人と名乗っているだけあって、時々記事の最後に「今日の俳句」というミニコーナーがあるんですね。
ある日の「今日の俳句」はこちら
豚キムチ好きだけど言葉の響きが悪口っぽい
爽やかすぎる朝到来!タイマーで開く目覚ましカーテン買ったら絵も上達した - ジャンプ力に定評のある前田
いやいや、俳句じゃないし、なんだこれは。
って思ってしまうわけです。
もともと、氏のブログや活動はぶっとんでいることが多いので。
俳句と言いながら、適当なことを言っているのかと思っていました。
完全にネタなんだろうなと。
何かのキッカケで、「自由律俳句」というものを知ったのです。
五七五に縛られない俳句。
全身がひっくり返ったような感覚に。
そんな俳句あるわけないじゃん。
でも、そういったカテゴリーがちゃんとあったんですね。
あぁ、知識の無い自分が恥ずかしい。
自分がしっている小さな小さな世界で、それは違う!! と威張っていたような感じです。
でも、違うのは僕のほうでした。
知らないことを、知らないというのは、時に恥ずかしい局面につながるんですね。
ただ、知らないことを知らないというのは、自分を大きく見せられる。
ぐいぐい挑戦できるのも知らないから、ということがあります。
社会の仕組みを知らないから、ズケズケ遠慮もなく進める。
社長の顔を知らないから、目の前の人が社長だと気付かずに意見が言える。
それを知ったとたん、守りに入ってしまうことがある。
目の前にいる人が、偉い人だったら、ヘコヘコするようになる。
知らないことで恥を知り、知らないことで自分の強さを知る。
知識があることが、知っているということが、正義ではないんだな。
改めて考える良い機会でした。
自由律俳句という単語がキッカケで、大きく後押しされたと思っています。