こんにちわ、スズキ(@acogale)です。
先日、クソマジメゲスブロガーのあんちゃ氏の「"面倒くさいこと"がこの世からなくなっていくのが寂しい」という記事を読み、ひどく共感したわけです。
効率化は、”偶然の出会い”を失ってしまう。
効率化されていくと、偶然の出会いが無くなって寂しくなってしまう。とのこと。
氏の記事を読んで、それを自分の中でうまく消化していったときに、もう一つ考えることが増えました。
それが「感じる」ということです。
効率化で感じなくなる
効率化されていけば、便利になっていけば、偶然の出会いが無くなる。
あんちゃ氏が言うとおりです。
偶然の出会いが無くなるとどうなるか、「感じる」ことが無くなる。
ただ、感じることには2種類あると考えています。
物質的に感じること
精神的に感じること
物質的に感じること
物質的に感じることが減っている。
その最たる例が「電子書籍」だと考える。
本の内容、伝えたいことだけに注目すれば、その媒体は何でもいい。
印刷であろうが、Kindleであろうが、パソコンの画面であろうが。
ただ、それ以外に伝わるであろうものが、伝わらなくなる。
本を持ったときの重み、インクの臭い、紙の手触り。
週間ジャンプの紙はザラザラしてて、婦人画報はちょっと厚めの紙を使っている。
子供用の絵本は厚紙で、アルバムの紙はつるつる光沢がある。
そういう「感じる」ことが少なくなり、どれも同じように錯覚してしまう。
この本を、どこまで読んだのだろうか。
この本の残りはどれくらいあるのだろうか。
もちろん電子書籍にも、あと○ページ、いまここらへん、というマーカーはあるものの、直感的に分かるものではない。
電子書籍には、本が欲しいときにすぐに手に入り、持ち歩きも保管も楽ちん。
という大きなメリットがあるのは事実。
ただ、アナログの本の、本を手に取ったときの厚み、文字の大きさ、これは読み切るのに時間がかかりそうだ、これは軽めに楽しめそうだというような。
そういう物質的な「感じること」が減るであろう。
精神的な「感じる」こと
精神面でも感じることが減るだろう。
便利になり、我慢をしなくなるので「耐える」という感情が無くなる。
待つことが苦になる。
また、誰かと接することが減り、相手のことを感じることも少なくなる。
人と人とのコミュニケーションが減ると、感じなくなるのだ。
良いこと、悪いこと、それぞれがある。
満員電車の酔っ払いに対して「嫌だなぁ」と感じること。
化粧濃いめのおばちゃまに対して「強烈な臭い」を感じること。
そういった感じることも減ってくる。
氏の言う「偶然の出会い」から感じられるものは多くあり、おおよその人はそれを求めている。
居酒屋のお姉さんに声を掛けるときにでも、その言葉の選びかた、相手の反応、オススメのメニュー、その場の空気、多くのことを「感じる」ことができる。
コンビニのおじちゃんから感じること、コンビニのおじちゃんが感じること。
今日はどんな印象を受けるのか、昨日との違い、先月との違い。
そういう違いを感じることができる。
僕が口にだしていたのは「感じたい」だった
プライベートで東京に行くことが多い。
何か強い目的があるかといえば、そうでもなく「なんとなく」だ。
ただ、誰かに「どうして東京へ」と聞かれたときに答えていた言葉は
「都会の風を感じたいから」
だった。
僕自身も「感じること」に飢えている。
冷暖房完備になると、気温/室温に対して感じなくなり。
照明が点いていると、太陽の光について感じなくなる。
交通網が発達すれば、距離や時間を感じなくなる。
マイナス要素と思われることも「感じる」ことで何かが生まれる。
こんなに時間がかかってしまった。
これはつまらなかった。
こんな人にはなりたくない。
そう思うことも、一方では大事だったりする。
世の中の発達で感じなくなる。
目の前の信号が赤だったら。
車は止まり、歩行者も止まる。
目の前の信号が青だったら。
車は進み、歩行者も進む。
安全、周囲の状況。
そういったことを感じなくなる。
機械的に、赤だから止まれ、青だから進む。
という判断をしてしまう。
周りの様子を感じなくなってしまう。
天気予報が「雨」というから傘を持っていく。
雨が降るかどうか、空を眺めることも少なくなった。
また、建物には屋根があり、地下通路もあり、傘もある。
雨そのものを感じることも少なくなったのだろう。
もっと全身を使って感じたい。
偶然の機会から、多くのものを感じたい。
そう思うようになって、便利さがちょっと邪魔くさくなった。
汗をかくこと、他人と喧嘩すること、お腹を空かせること。
喜ぶこと、笑うこと、泣くこと、怒ること。
今年の目標もそうだった。
2017年
— スズキ@今日も絶好調ブロガー (@acogale) January 2, 2017
引き続き「人より多く笑い、泣き、怒り、悲しむ」こと。
それを「誰彼かまわず話す」こと。
BRUTUS編集長の西田善太氏の言葉で攻める。
併せて「誰にでも声をかける」ことも実践。
多くの人と交流を持つ。
連絡もらったら会いに行く。
今年は輪を広げる年にしよう。
やっぱり「感じたい」と思っているみたいだ。
そういった感情が、少しずつ減ってきているような気がするから。
昨日も、こんな記事を書いたが、感じることが大事だという気持ちは変わらない。