ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

「必要だけど供給過多」という表現に脳天を撃ち抜かれた

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

 

ブログの先輩、やぎぺー氏のブログ「やぎろぐ」

昔から、何度も読んでいたのだけれど、この記事に気付かなかったとは。

もっとしっかり読んでおけばよかった。

 

批判は必要なんだけど供給過多。肯定力のある人が得をする | やぎろぐ

 

この「供給過多」という表現で、僕はもうお腹いっぱいになりました。

言いたいこと、モヤモヤしていたことが、このタイトルに全部詰まっている。

 

僕自身が、批判は必要だと思っている。

批判されることから、生まれる良いことがあるとも思っている。

 

一方的に、言いたいだけ言う批判は、ちょっと遠慮したいが、中身のある批判はしっかり話を聴きたい。

そこで、相手の意見をじっくり聞いて、お互いの考えをより高いものにする。

アウフヘーベンに近いような環境って素晴らしいと思っているから。

だから、批判することも、されることも、別に問題はなかった。

 

 

供給過多に気付かない。

だから、批判については賛成に近い立場だった。

批判があーだこーだという意見なんて、受け入れるのができなかった。

 

でも「供給過多」という言葉で、ハッとした。

脳天を撃ち抜かれたというのは、まさに今の気分なのだろう。

 

批判することを否定はしていないが、それをする人が多いということ。

みんなが思い思いの意見を、批判的にぶつけるのは、もういいんじゃないかということ。

 

それを含めたうえで供給過多なのだから、しょうがない。

批判してもいいけど、そうじゃない選択肢もある。

批判することがカッコいいとか、自分の意見を持っているとか。

そういうことではなく。

 

批判することが「許されている」だけ。

 

いつも出てくる鈴木先生のセリフ。

許されているだけ。

だからカッコいいとか、素晴らしいとか、勝っているとか、そういうことではない。

ただ、その選択が許されているだけ。

 

批判すること、肯定すること、どちらも許されている。

どちらを選んでも、どちらの気持ちがあってもいい。

許されているから。

 

許されているからといって、それを大きく振りかざしては、それこそ残念な人になってしまう。

権利を主張するだけの人のようになってしまう。

 

供給過多になっているということに気付けなかった自分は、まだまだだなぁと。

批判すること、意見を持つことしか見えていなかったのは、まだまだだなぁと。

 

批判する人は、他にもいっぱいいるんだと、そう思ったら胸のつっかえがとれたような気分に。

どこかで変に突っ張っていただけなのだろう。

そうしないと、認めてもらえないとか、自分の存在が無くなるとか。

 

供給過多なんだから、僕は肯定するような人になっていこう。

大きく気持ちを、大きく考え方を変えていこう。

 

人があまりやらないところに、価値を見つけてみようと。

肯定できる人になる。

 

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