ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

どこかに愛を落っことしてきたのかもしれない

 

好きとか、嫌いとか、愛しているとか、無関心とか。

できるだけフラットにしておきたいな、なんて思うことがある。

バイアスがかからないようにしようって。

 

日常を見てみると、いろんなものがフラットになっている。

技術が進化すると、デコボコが減るのだ。

 

エアコンがあれば、室内温度は一定になる。夏の暑い日、冬の寒い日を忘れてしまう。

野菜は同じような形のものが増え、加工品は公差の範囲内で製造されるようになる。

 

デコボコした道も、アスファルトでフラットになり、都会でも田舎でもスマートフォンはつながるようになった。

 

画一化。

 

できるだけフラットにしようと生きてきたところに、好きとか嫌いとか、愛しているとか無関心とか、そういうのが、ちょっとだけ邪魔になることが。

気持ちに訴えかけられたもの、心で記憶しているものに、ガンガン引っ張られるのだ。気持ちがフラットにならない、でこぼこしてしまう。

 

それを避けるには、好きとか嫌いとか愛しているとか無関心とか、そういう気持ちを持たないようにする。

 

 

 今日は昼からずっと移動していた。

電車の中で、ツイッターで、あれこれしていたのだけど。

そこで見つけたツイート。

 

被写体に愛を込めるってどういうことさ。

声を掛けながら、話しかけながら。

それが愛を込めることのスタートかもしれない。

 

そういった気持ちを封印してきたんだろうな。

自分自身が気持ちよく感じる、美しい、整っていると感じる。

それについては、見出そうとするんだけど。

 

じゃあ愛情をかけたのか、言葉をかけたのか、寄り添ってあげる気持ちはあったのか。

と言われるとね。

 

 

写真を撮って、文章を書いて、記事を制作する人として。

まだまだ不足しているところだらけ。

 

もし、どこかに愛を落っことしてきたのだとしたら。

今日からは声を掛けて、話しかけて、愛を込めることができるんだと思う。

 

大事に、大切に、丁寧に。

相手にも、モノにも、言葉にも、愛を込めていこう。