支払う金額が同じであれば、そりゃクオリティを求めてしまう。
最上級、一番良いヤツ。
喫茶店で500円でコーヒーを飲むとしても。
味や香りを求めてしまう。
だからといって、全てが全て、良い物である必要はないし、クオリティを求めなくてもいい。
B級とは言わないが、残念なものを求めているときもあるのだ。
自分が想像している世界にピッタリな、ちょうどいいものを求めているのだ。
田舎のばあちゃんがやっているようなお店、山頂にあるレストラン、テーマパークのフードコート、冷えた駅弁。
もっと頑張ってくれよ、、、と思う一方で、これでいいんだよ、これで。と思うことがあるのは、そういうものを求めてしまっている自分がいるから。
新幹線の中で食べるサンドイッチはパサパサしてるし、駅前の立ち食い蕎麦は色つきうどんみたいなもの。でも、それがちょうどよかったりする。
想像しているもの、求めているものにピッタリ当てはまる。そんな結果が返ってきたほうが嬉しいのは不思議なもので。
頑張らなきゃいけない一方で、「ちょうどいい」を提供できるようになるのも、次のステージへ行くための一歩なのかもしれない。なんて思うのだけど。