こんにちは、スズキです。
最近、身の回りでクラウドファウンディング(以下クラファン)が流行っています。
クラファンとは、
不特定多数の人から出資を募るような仕組み
です。
多くの方から出資してもらえるような仕組みの一つなのでしょう。
僕自身も、出資をしたことがあります。
そんなクラファンなんですが、どこかモヤモヤするところがあります。
僕の中でうまく消化しきれていない部分。
その部分と、お金儲けについて、ちょっと考えてみたいと思います。
クラウドファウンディング
クラファンの中でも、いろんなプロジェクトがあります。
最近話題になったのはキングコングの西野さんのクラウドファウンディング
6,200人以上の人が、合計で4,600万円の出資をした。
というのが話題になりました。
それだけ応援してくださる方がいるということです。
それまでのお金の集め方
随分前ですが、マネーの虎という番組がありました。
自分のやりたいこと、例えば「ラーメン屋を始めたい」という夢。
そういう人が、社長陣にプレゼンをして出資金を募る。
納得頂ければ、何百万単位で出資してもらえる。
テレビ的な演出があったにせよ、出資金を募るというのはハードルが高かった。
僕の中のイメージでも、起業する人、新しいプロジェクトの為にと出資をする場合。
それを表現する場を用意したり、出資者側もそれなりの金額を用意したりする。
「1口10,000円で3口以上」という場合も多い。
僕の日常生活とは切り離されていたんですね。
クラファンはハードルが低い
これは、出資者側、企画者側のどちらにも言えることです。
2~3,000円から出資できたり、目標金額も50,000円、100,000円ということもある。
「そんなの、バイトしたら集まるじゃん。 」
という意見もあるだろうが、今のクラウドファウンディングというのは、そのレベルでもできちゃうんです。
クラファン=キモい
そういう人が出てくると、僕はクラファン=キモいと思うようになります。
適当な横文字で、カッコつけてお金集めをしているだけだろ。って。
随分前ですが、こんな記事を見かけました。
クラウドファンディングを汚すのはマジで止めて欲しい - Outward Matrix
おおよそ、この記事に賛同できるのですが、やっぱりモヤモヤしていたんですね。
何がよいことで、何がダメなのか。
という基準が自分の中にできていなかったからでしょう。
それを受け入れられない自分がいること、自分が受け入れられない商材があること。
だからこそ、そういうモノを一括りにして「キモい」と思うようになったのでしょう。
新しい倫理観
話は変わりますが、自動車の自動運転技術。
本当の全自動というわけにはいかないですが、ある程度の技術ができあがってきています。
さて、その自動車が究極の選択をしなければいけないとき。
目の前に子供が飛び出してきた。
このままだと子供が事故に遭って死んでしまう。
でも事故を避けるためには、車を壁にぶつけて止らなきゃダメだ。
そうすると、乗っている人が死んでしまうかもしれない。
という事象が発生したとき。
乗っている人を守ってくれなければ、車は売れません。
ただ、人殺しをする車も売れません。
これについて、明確な答えが無い。
それは当然のことで、「自動運転技術」そのものが最近できたモノだからです。
何かと何かを組み合わせて、突然でてきたモノ。
そのモノに対しての倫理的な感覚、哲学的な感覚というのは、すぐには固まらないものです。
クラファンも生まれたての市場
今までは、熱意と情熱がある人が、お金持ちのところに行って出資金を募っていました。
それがネットの普及、クラウドファウンディングという仕組みができたことによって、より身近なものになったわけです。
だからこそ、クソみたい(と思ってしまうよう)な企画があったり、それに出資している人もいます。
この仕組み、この考えが良いのか、悪いのか、それはまだ判断できないこと。
ビジネスの目線で見れば、数万円のクラファンなんてクソだと思うかもしれないけど。
駅前でギター持って歌っている彼のギターケースに100円入れることを思えば、一般人クラファンも納得ができる。
稼げるヤツは、何でも利用する
新しい何かが発表されたとき、発売されたとき。
それを利用して、別の使い方ができる人こそ、成功するし稼ぐことができる。
先日、あるトークショーの中で、研究者で映像作家、多摩美大の専任講師をされている菅俊一さん(http://syunichisuge.com/)がこんなことを言っていた。
「テレビというものは、放送される電波を映すために発売された。
それを放送を受信する装置から、好きな映像を映す装置へと使い方を変え、テレビゲームが発売した。これは空前のヒット商品になったが、テレビが普及していないとテレビゲームも普及しなかっただろう」
テレビというものは、テレビ局が放送しているそれを見る為だけに登場した装置だ。
それを、まさにそのまま使っていただけでは、テレビゲームなんて生まれない。
その装置の一部の機能を、上手く活かしながら新しいモノを作りあげる。
これこそ、お金儲けの近道なのではないだろうか。
身の回りは転用だらけ
本来の目的外で使われているモノというのは、本当に多い。
古い例で言えば、ポケベル。
外回り営業のサラリーマンに持たせて、会社からの連絡手段の一つにしていた。
それがプライベートなコミュニケーションのツールとして使われ、女子高生の間で爆発的に広まった。
最初から女子高生をターゲットにしていなかったのだ。
例えば、刻み海苔はさみ。
刃がたくさんついた刻み海苔用のはさみがあった。
これが全く売れなかったらしい。
時代の流れで、シュレッダーばさみとして販売したら、これが大ヒット。
商品の何を変えたか、使い方の提案と持ち手の色を変えただけ。
例えばブログ。
web+logの造語だ。
ブログサービスが出始めたころは、ウェブ上に記録を残しておこうと、日記感覚で使っていた。
それがいつの間にか、情報発信のツールになったり、商品宣伝の場になったり。
ツイッターだってそうだろう。
ただ「つぶやく」だけのツールではなくなっている。
地震が発生したら、一番にチェックするのは気象庁のHPではなくツイッターだ。
本来想定されていた要素、用途以外で使われることは非常に多い。
また、それらが、新しい文化を広げてくれたり、新しいモノを生み出してくれるのだ。
クラファンになにを掛け合わせるか
クラウドファウンディングという名前がいけなかったのか。
起業する人、資金集めする人。というオシャレなテーマがいけなかったのか。
「投げ銭ホイホイ」みたいな名前だったらよかったのか。
いろんなレベルのプロジェクトがあるからこそ、面白いところもあって。
小学生のママゴトのようなものから、宇宙開発のような壮大なプロジェクトまで。
ふるさと納税にも近いような気がするのだが、それもまたできたてホヤホヤなサービスなのだ。
クラウドファウンディングは無限の可能性があるが、気持ち悪さからは抜け出せない。
喜捨、寄付、保留コーヒー
僕から遠い世界の文化では、喜捨とか寄付とかそういったものがあるらしい。
喜捨とは「貧しい人へ喜んでお金をあげること」だそうだ
最近の文化としては、Suspended Coffee(保留コーヒー)というものもあるらしい。
余裕のある人が、余分にコーヒー代金を払っておく。
お金が無い人が、それをもらいにくる。
僕の接したことのない文化だから、すごく気持ちが悪い。
でも、そういう文化の人からしてみれば、楽しめるネタを持っている人に施しをすることは、当たり前で普通で当然なのかもしれない。
※これは全くもって僕の勝手な考えだが。
システムを上手く使える人が成功する
最後に、クラウドファウンディングだが。
「それって大勢から資金集めをするほどのこと??」というのも、大いにある。
が、うまくクラファンのプラットフォームを使っているのだろう。
また、そんな人たちにクラファンのクオリティを汚されているとしたら。
それを悩む程度の起業家では、資金集めはできないのではないだろうか。
本当にお金を集める人は、どこからでも資金を引っ張ってくる。
どこでも輝くネタを持っているような人。
たまたまクラファンを「利用」するだけで、クラファンありきになってはいけない。
そうは言っても、僕自身は全く馴染めていない。
クラファン=ビジネスライク、起業家
だと思ってしまう。
もう少し利用用途を限定して、別の名前でもつけたらスッキリするかもしれない。
その思考停止な部分が早く緩んでくれれば、もうちょっと違った見方ができるのだろう。