自由の粒度は人それぞれだ。
1時間の枠で考える人もいれば、10年、20年の枠で考える人もいる。
今回は1日という枠で考えてみるんだけれど。
1日、何もやることがない、予定を立てていない自由があるとしたら。
果たしてそれは、本当に自由なのだろうか。
何をするにつけても、自分で決断しなければならない。
いつの間にか、自由の不自由さを感じることになる。
例えば平日。
8時30分には会社へ。18時になると帰宅できる。
となると、それは自由ではないけれど、やるべきこと、やったほうがいいことが明確になる。
1時間前には起きて、30分前には家を出る。
みたいな。
約束を入れず、比較的自由に過ごしているのだけれど。
それはそれで非常に不自由なのだ。手ごたえもないし、緊張もない。
全身が溶けていくように。もっとも、それを望んでいないのだから苦行にしかすぎない。
自由の枠をもらったとき、それをいかに不自由にしていくか。
自分なりの設計をしていくかが大事な気がしている。
自由を自由のままに操れるようになるのは、いったいいつになるのだろうか。
ある程度、制限されていたほうが、僕の1日は潤うんだと思っているけれど。