ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

「お互い半分ずつ」は公平のようで公平でない

取り分は折半にしよう。

 

お互いの利益は半分こにしよう、と言うことが多くある。

公平に、きっちり分けることが、本当に正しいのかどうか、ちょっと疑問に思うことも。

 

それは、お互いの役割がきっちり半分になることは無いからだ。

誰かのアシストがあって、成果に結びつくこともある。そのアシストが無かったらゼロだったかもしれない。

お互いの需要と供給が合致したから、成果が発生しているのだろう。

その場合に、半分こでいいのか。

 

じっくり交渉してきた案件であれば、7対3でもいいだろうし。

アシストのパワーが絶大なら2対8でもいい。

5対5でないからこそ、どちらかに重みが出てしまう。この重みが数値になって表れていることが良いことなのだ。

 

例えば3対7であれば、7の人が強い、イニシアチブをもっている。そんなことが外から分かる。

これが5対5だと、お互いがお互いのことをどう思っているのか分からない。

お互いに「オレのほうが頑張っているのに」と思っていたら、喧嘩のもとになるだけだ。

 

3対7と可視化されることで、3の人は「7の人のおかげで、、、」と思うようになるから。

 

公平、平等というのは、全てがそうでないといけない。

思いついたアイデア、行動量、世間での価値。

それがきっちり平等になるときは、人生の中でどれくらいあるのだろう。

 

5対5、折半である必要はない、もっと傾斜を持たせていいと思う。

「オレが7でお前が3」と言われれば、なんとなくどういう状況か見えてくるのだ。

 

無難に5対5にするのであれば、それは避けたほうがいいと思った次第。