ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

批判することが面倒になる人はいないのだろうか。

こんにちは、スズキです。

インターネットで批判する人を見かけます。

ツイッターやフェイスブック、ブログも含めてですけど。

あれって、疲れないんですかね。僕は随分と疲れましたよ。消耗しましたよ。

 

批判すると、結局ブーメランになるんですよ。

会話のキャッチボールでもなく、バットで打ち返すもなく、ただただボールを受け取るだけ。その程度でいいのでは。と思いながらも、色々と感じることがあるわけで。

 

そうしたら「お前のそれは批判じゃないか!!!」と、まぁ、こんな感じになるのでしょう。

これがブーメランです。

 

例えば「多様性を大事にしよう」というのは"多様性を大事にしようマン"を推奨するわけで、多様性を大事にしていないように感じます。

 

例えば「お前の当たり前は、俺らの当たり前じゃないんだよ」ということを言う人は、"当たり前じゃないんだよ"と当たり前のように使っています。

 

揚げ足をとった気でいると、ブーメランになるということです。

 

モノゴトを、もっと大きな点で捉えれば、考え方や話し方が変わってくると思っていますが、言葉そのものを平たく受け取ってしまうと、ギクシャクしてしまう。

 

そうなると、究極に無関心になる。触らぬ神に祟りなしという選択です。

 

注目されようとして、声を大きくしていた人たちが、関心を持たれなくなる。最悪のパターンですね。

批判をすることが面倒になる人もいれば、批判そのものが面倒に聴こえるときもある。

相手に「それもそうだな」と思ってもらえるような、そんな気持ちを僕は大事にしたいと思うところでした。

 

 

批判する/批判されるジャーナリズム

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