こんにちは、スズキです。
先日、トークイベントに参加してきました。ゲストが何名かいらっしゃったのですが、その中の一人は、デイリーポータルZでお馴染みの林雄司さん。
ちょっとだけ「自由」についてお話を聴くことができました。そこから感じたことは「本当に自由にしたら何も生まれない」ということだったんです。
自由だと何も生まれない
自由に生きたい、自由に働きたい、何かと「自由に」と言われることがありますが、本当に自由を求めているのでしょうか。
デイリーポータルZで有名な企画といえば「地味ハロウィン」ではないでしょうか。
派手に仮装するのではなく、地味な仮装でハロウィンを楽しむイベント。
このイベントも「地味」「仮装」で縛りがあるからこそ、成功したのではないか。と林さんがおっしゃっていたんです。
地味×仮装の中で、参加者が自由に楽しむことができる。本当の自由ではなく、枠組みを用意してあげることで、参加のハードルがぐんと低くなる。
ある程度、選択肢を狭めてあげることが、心地いいこともあるそうです。
何でもできる=何もできない
自由だとすれば、何でもできるんです。自由だから。でも、本当に何でもできるのでしょうか。
例えば「日記を書く」ということ。自分しか見ないので、何を書いても自由です。絵を描いてもいいし、今日のゴハンを書いてもいい。日記だから自由なんですよ。
でも日記が書けない人がいます。その理由は「何を書いたらいいか分からない」
何でもいい、何を書いてもいいのに「何を書いたらいいのか分からない」なんて言うんです。
これが自由の悪いところ。自由すぎると、動けなくなってしまう。
自由すぎないように、少し不自由な中で生きる
先の日記の例で、これが「今日見たテレビについて書こう」と決めたとしたら。
書くことに対して制限があるものの、何をしたらいいのか明確になるので、行動しやすいんですよね。
自由すぎることは、ストレスであったりもします。選ぶことばかりで、負担がかかってしまいます。
ゴハンに誘っても、デートに誘っても、「何でもいいよ、自由に決めていいよ」と言われると、あたふたするのと同じです。
ある程度の範囲で縛られていたほうが、実は選択しやすく、生きていきやすいんです。
また、その中で100%楽しむ術を身に付けることで、限界まで楽しんでいるワクワク感も生まれてきます。
自由を求めて、自由になったとしたら。本当は何をしたくなるのか忘れてしまいがち。
「自由」を目標にするのは得策ではなさそうですね。