こんにちは、スズキです。
人間は環境に適応し過ぎてしまう。
環境に流されるんだなぁと、改めて実感しました。
周りの歩くペースに合わせて歩いてしまったり、会社のルールを素直に受け入れてみたり。
それが自分にとってプラスの環境であれば、周りからギチギチに刺激をもらって成長できる。
やべぇやべぇ、オレ遅れてるじゃん って思いながら。
でもそれが逆だったら。
知らない間に、理想の自分から離れていくのだ。
「こんなはずじゃなかった」
といつの日か思うのだろう。
いばや通信の坂爪さんが、こんなことを言っていた。
「最高を求めないと、普通がはいってくる。」
この記事の2つ目の見出しのタイトルになっている。
最高を求めないと、普通がはいってくる。
これを読んだときに、僕は勘違いをしてしまったのだ。
最高を求めないことで、普通のエッセンスが入ってくるんだよ~~と。
=最高を求めすぎるから普通にもなれないんだ! と。
「普通【これでいいや】」的なものに生活全般が侵食をされてしまって、結果的に中途半端な人生で終わってしまうような気がしている。
と、書いてあった。
全く逆の解釈をしていたのだ。
「普通」でいいやと思うことが、中途半端な人生にしているんだぞ。
ということだ。
だから意識高く、最高をゴリゴリ求めていかなきゃいけない。
自分の純度を上げていかないと、一つ上のレイヤーには行けないのだ。
今日の最高って何だっただろう。
手抜きしないでやってこれたかな。
一日を振り返ったところで、胸を張って「最高だった」と言えない。
最高だったと言えないのは、最高になるような準備、心構えが無かったから。
周りにモノが増え、仲間が増え、それはそれでワクワクするし楽しい。
でも、その環境に染まり過ぎると純度が低くなってくる。
締まりがなくなり、最高を求めなくなる。
まぁこれでいいや。ってね。
1日1日を大切に生きなきゃな、今が勝負なんだな、真剣勝負の繰り返しなんだなぁと。
まだどこかで他人事のように思っていることだらけ。
坂爪さんの「最高」には、気持ちも行動も届いていないようだ。
ミニマリスト、断捨離。
そういったライフスタイルが最近注目されているのは、純度を上げるためだろう。
少数精鋭で、バチッといきたい。
贅肉をそぎ落として、スマートにいきたい。
そういう気持ちがミニマリストで断捨離で、そして自分の思考純度を高くしていくものだと気付いた。
ごちゃごちゃした部屋の何が嫌なのか。
それは純度が低くなってきた、混ざりもののスズキになってきたこと。
「自分」という純度を上げるためにも、もう一度、身の回りの整理整頓をしなければいけないだろう。