こんにちわ、スズキ(@acogale)です。
今回は「小さな違和感」というテーマでお送りします。
日本人特有とも言われる「謙虚」について。
例えば「いい大学を出ていますね」と言われたときに。
- 「いやいや、そんなことはないですよ」と言う人。
- 「高校時代に勉強しかしていなかったので」と言う人。
- 「僕の実力であれば、ちょろいもんですよ」と言う人。
それぞれ、いろんな気持ちや思いがあるんですよね。
どれが一番の答えなのか、そういったことを含めて、僕はカジュアル謙虚が苦手なのです。
「謙虚」の分類
「謙虚」という視点で世の中の人を分類したとき、5種類に分けられます。
- 傲慢な人
- 普通の人
- ビジネス謙虚の人
- カジュアル謙虚の人
- 本当に謙虚な人
僕は4番の「カジュアル謙虚の人」が苦手だということを強く伝えたい。
正確に言えば、寒い空気すら感じるのだ。
「ビジネス謙虚」は許容範囲
ビジネスの世界で、特に派閥や力関係があるとき。
そういった場合は、過度にへりくだったりするときがある。
芸能の世界や、縦社会を重んじる傾向のある世界は、その傾向が顕著だと感じた。
それを僕は「ビジネス謙虚」と分類している。
「まぁ仕事だからしょうがないよね」程度の認識。
どちらかと言えば、いやいややっている人もいるんじゃないだろうか。
一度「ビジネス」という場を離れたときに。
でも、そうじゃない場面、日常生活において謙虚な人がいる。
勝手に「カジュアル謙虚」と名付けた。
それがスゴく気持ち悪く見えてしまい、僕自身は苦手なのだ。
本当の謙虚
世の中には「本当の謙虚」もいる。
控えめな方、僕の想像するタイプは物静かなおばあちゃん。
所作もほどよくゆっくりで、ガツガツしていないタイプ。
全身から「傲慢さが全く無い」ことが伝わるようなおばあちゃん。
おばあちゃん以外にも、そういう人はたくさんいるんだろうけど、勝手なイメージでおばあちゃん。
その謙虚さに、こちら側が深々と頭を下げたくなるような人。
奥ゆかしいというか、落ち着いているというか。
そういう本物のオーラが出ている人は「気持ち悪い」カテゴリーの外にいる。
中途半端な人が苦手
さて、話は「カジュアル謙虚」に戻るのだが。
その後につながる自分の価値のため
という傲慢さが見える
自信のなさがいやだ
そうじゃないですよねーって言われたいのかと思う
「謙虚さ」というお札の乱用だ
謙虚にすれば、何でも許されるというようなベースの気持ち。
ごめんなさいね、と始めに言えば、許してもらえるという言い訳。
ただの練習不足
それを受け入れないで、あやまっておこーって気持ち
カジュアル謙虚の人の根底にあるものは、自分をよく見せようとする傲慢さ。
まさに紙一重。
もちろん礼儀という部分で、そういう姿はあるが。
それは、その間柄や雰囲気によって違う。
スゴいお茶の先生のところへご挨拶に行くのであれば。
「つまらないものですが」
的なことは言いそうだが。
普段の友だちの家にいくときなら
「これめっちゃうまいで」
と持って行けばいい。
「○○させて頂きます」って
「させて頂く」って何だよ。と思う。
したいなら「したい」と言えば良い。
「〜致します。」でいいんじゃない?
謙虚なセリフを言えば、何でもオッケーみたいな空気は苦手なのだ。
やらされているのか、自分から進んでやっているのか。
「させて頂く」人は、どんな気持ちなのでしょうか。
自信の無さと、それの穴埋め
カジュアル謙虚の意味は「自信の無さ」と「失敗への穴埋め」だと思ってしまう。
大きな声で「やります!」と言えばいいのに。
しっかり練習してこればいいのに。
謙虚をやめて前に出ようとすると、準備が必要なんですよね。
会話のネタにしても、プラスアルファの気持ちが必要。
「これめっちゃうまいで!!!」と持って行ったお土産には、そこへの思い入れと、それの説明ができる準備をしなきゃいけない。
「つまらないものですが」と言えば、あとは「いえいえ」と言っておくだけで、フワッとその場を片付けることができる。
謙虚さは大事だけども
謙虚さを否定するわけではない。
TPOに合わせて使い分ける必要がある。
ただ、手抜きのために「謙虚」を演じるのはズルいよね。
それ、謙虚じゃないよ、ただの手抜きだよ。
前に出るには、パワーも準備も度胸も必要。
それを鍛えないとさ。
その謙虚さ、「カジュアル謙虚」じゃないですか??
ちゃんとやれ!