キンモクセイの曲と言えば「二人のアカボシ」しかピンとこないスズキ(@acogale)です。
五感に触れると、過去の思い出がよみがえってきます。
電話越しに聞こえるアノ人の声
どこかで見たことのある風景。
雨上がりのジメっとした匂い。
特に僕は音が好き。
音のお陰で、いろんなものが頭の中で結びつくのだ。
でも、匂いにもやられるときがある。
それは、
- おでんを作るような出汁の匂い
- 石油ストーブがくすぶったような匂い
- キンモクセイの匂い
この3つの匂いは、強烈に過去を思い出させてくれる。
僕にとっては、家庭の温かい匂いも、石油ストーブの匂いも、キンモクセイの匂いも過去のものとなってしまった。
ツイッターで、フェイスブックで。
特に最近見かけるのは「キンモクセイの香りが~」という投稿。
秋口のほんの1週間程度しか香らないキンモクセイ。
昔住んでた家は、玄関を出たところにキンモクセイが植わっていた。
今の家は違う。
今の家は都会にある、そして目の前がバス停だ。
家と会社を往復するのに、自然に触れ合う場所がない。
家から出たらバス停、バスに乗って駅へ、電車に乗って会社へ。
キンモクセイの香りを嗅げば「あぁ、秋になったんだな」と思うけれど。
キンモクセイの香りに気付かなくても、僕の毎日は過ぎていった。
誰かがツイートしなければ、誰かがフェイスブックにポストしていなければ。
今、キンモクセイが香っていることも気付かなかった。
1年前の自分はどうだっただろうか。
玄関に植わっているキンモクセイの隣を通り過ぎるとき。
あぁ、秋になったな。
と気付いていただろう。
住む場所が変わり、仕事が変わり、環境が変わる。
いつの間にか、思い出にしていたことさえ、遠い場所にいってしまった。
過去の自分はどこへ行ってしまったのか。
今の自分は、どんな自分なんだろうか。
いつの間にか、自分自身を見失っているのかもしれない。
キンモクセイの香り。
ただ、秋を感じるものではない。
幼いころから、毎年のように香っていたそれが、今年は無かったのだ。
小さなことかもしれないが、キンモクセイの香りが無いだけで、こんなに不安になるものなんだな。と。
たまには過去に戻ってみるのもいいのかもしれない。