ニュートラルでいることは自主性がない。
Aとも言えるし、Bとも言える。という表現なのだ。
ニュートラルは議論にならないし、結論にもならない。
だから積極的に振れてしまうことはいいことだと思っている。
Aが好き、Aがオススメ、Aでないとダメだ。
そういう振れ方は大好きだ。
とはいえ、色眼鏡で見てしまうことになるので、中立を求められているときはニュートラルに。
周りの音をシャットアウトして、純粋にその事象を眺める。
社会的に、道徳的に間違っていたとしても、一旦は横に置いておいて。目の前のそれを純粋に吸収してみる。
そうやって、中立を保たないといけないときだってあるのだ。
社内の揉めごと、家庭でのトラブル。第三者の目線で中立に見ることが必要なときだってある。
至極冷静に、波を荒立てることなく対象物をじっと見る。
そこに答えが隠れているときがあるのだから。
そっとすくい取るように、中立でいたいと思うときがあるのだから。