ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

数をこなすとセンスが身につき、違和感に出合う

ブログを通して文章を書くようになってから5年になった。

飽きもせずに書き続けているな、と思っている。

 

量や質にばらつきはあるが定期的にアウトプットし、やっぱりオシャレな文章が書きたいから小説家、エッセイスト、他のブロガーさんの文章をコピーしようとする。

 

声に出してみたり、目で追ってみたり。

どうやったら情景が浮かぶのか、どんな書き方をしたら心が動くのか。

書くことを勉強したのは小論文のテストのときくらいだった。

それが、自分が文章を書くようになってからは、積極的に学びたいと思うようになった。

 

素直に言えば、文章を書くのは苦手なのだ。気持ちを言葉にするのが苦手だし、丁寧に説明するのも苦手。苦手だけど面白い。パズルのような楽しさもあるから、文章を書き続けてしまう。

 

きっかけを考えてみれば、文章というよりコピーライターだ。

デザイン業界、広告業界ってカッコいいじゃないか。

そこで活躍されているコピーライターがカッコ良くて。糸井重里さんをテレビや雑誌で見かけることが多くなったころの話。文字、文章の面白さはコピーから学んだ。

 

キャッチコピーも面白いし、文章も面白い。

気付いたら文章を書くことに抵抗がなくなっていた。

ブログを書いたり、ウェブライターの仕事をしたり。報告書、提案書、マニュアルなど、文章を書く機会が格段に増えた。

 

たぶん、たぶんだけど、仕事で報告書や提案書を書いているだけなら、文章を追いかけることはしなかったと思う。日々の業務の延長線で、そこに価値は求めていなかったから。

それがブログだとどうだろうか。純粋な自分の作品を世の中に公開するとしたら。

カッコいいほうがいいし、シュッとした文章も書きたくなる。だから本を読んだり、コラムを読んだりして、文字の波を感じているのだろう。

 

幸いにも本が好きな友人が何人もいるので、オススメの本を紹介してくれる。自分では手に取らなかっただろうな、という本もたくさんある。

ユニークな表現や、ストレートな表現を感じることができるのだけど。

 

素敵な文章に多く触れると、知らず知らずのうちに言葉の扱い方が身につくのだ。

「てにをは」や、主語と述語の関係、音や色の表現の仕方など。

基礎中の基礎みたいな言葉の使い方だって学ぶことができる。

 

その知らず知らずのうちに身についた文章が、いつの間にか自分の中の基準になってしまう。

誰かのコラムを読んだとき「僕ならこうやって書くんだけどな」なんて考えたり、感情を排除して、この文章が言っている事実は何かをじっくり考えたり。

 

今までならスルーしていたことが、気になりだしてくるタイミングがあるのだ。

それは文章以外も同じで、部屋を綺麗に片付けている人なら、スリッパが揃っていないことが気になったり、額縁が斜めになっていることが気になったり。

レストランで働いていたら、料理のサーブの仕方やお皿の向きが気になったり。

 

他の人が気にならないことを気にしてしまう自分が現れるのだ。

それこそが違和感であり、成長の証だと思っている。

 

数をこなすことで、大きな枠での型やルールや味付けを吸収することができる。

それがなんとなく、、、ではなく、言語化できるくらいに身についてセンスになる。

そうすると、そのセンスと目の前の事象を比べることができ、当てはまる/当てはまらないとジャッジしてしまう自分がいる。

 

その「当てはまらない」ときこそ、違和感の正体であり、自分が勉強してきたものや経験してきたものとの違いに気付いた瞬間なのだ。

 

その違和感を違和感として受け止めて、どういう箇所に違和感があったのかを冷静に判断する。

句読点の場所が変だ、タイトルの語順が変だ。と違和感に包まれてしまうときがある。

なんとなく、、、の違和感で済ませてしまうのではなく、自分の過去と照らし合わせたときに何が違うのか、を判断できるようになれば、また一つ経験値として積み上がる。

 

デザインに興味があったときは、看板の違和感に気付くことが多かった。

改めてじっくり見ると、コピーの文章が変だったり、文字のカーニングが変だったり。

 

誰かの文章を読んでいるときにも違和感に出合う。

どうして、AでなくBと言ったのだろう、そういう小さな小さなところに、大きなヒントが隠されていることが多い。

これこそが新しい発見になるのだ。

 

次のステップに行くためには、その手前で違和感に気付けるようにならないといけないし、違和感を違和感として測るための土台作りも必要だ。

「ん??」と思ったことをスルーしないで、じっくりと悩んでほしい。

 

それこそが本当の自分の気持ちであり、今までの経験の結果なのだから。