みんながみんな、同じ道を歩いているわけではない。
生まれた地点が違うので、そもそもスタートから違っている。
北に歩くもの、東に走るもの。
人それぞれに生きている。
全力疾走する人がいれば、ぐーたら寝てるだけの人もいる。
100人いれば、100通りの人生があり、1億人いれば、1億通りの人生がある。
至極当然で、当たり前のことだが、それに気付かないことが多い。
僕が知っているであろうことを全て知っている人はいない。
あなたが知っていること全てを僕が知っているわけではない。
小さなことから、難しいことから、人それぞれに知識や理解度は違う。
もちろん答えが同じだからといって考え方が同じとは限らない。
リンゴが3つ入ったカゴが5つあります。
リンゴはいくつですか。
僕の頭の中では
3×5=15 15個だ。
小学1年生に聞いたとしたら。
同じく15個と答えてくれるだろう。
その計算方法は
3+3+3+3+3=15
かもしれない。
答えは同じでも過程が違う。
小学1年生は掛け算を知らない。
大人になって、ある程度は共通して意思疎通ができると思っていた。
それが全くうまくいかないことがある。
考え方の違い、前提の違い。
ただそれだけのこと。
省エネ、楽をするあまり物事をちゃんと説明しなくなる。
かといって、1から100まで全て説明したら、それはそれで面倒くさいやつだと思われてしまう。
どの辺がちょうどいいのか、それを決めるのは知識であり経験である。
最近の僕は、そこをツッコみたくなっている。
知っていても、分かっていても「これってどういうことですか?」と聞いてしまう。
それは嫌がらせではなく、もう少し理解を深めたいから。
僕は足し算で計算していたことを、相手は掛け算で計算しているのかもしれない。
そんな術があったのか!!
と知りたいからだ。
質問の答えが、僕の予想の範囲内のこともある。
いわゆる「想定内」というヤツだ。
それはそれで「オレって成長したんだな」
と思う。
憧れのあの人に質問をするとき。
僕の中には答えがある。
その答えと、相手の答えをすりあわせていく。
できるだけ近いものにしていく。
同じ感覚を備えるために。
共感が得られるから。
結果だけで判断することもある。
努力を判断してくれるときもある。
どちらも大事、どちらも備わっていないとダメだ。
結果を求めるあまり、過程を疎かにしているとき、過程をすっとばしているとき」
振り返ったときに、そこに気持ちや熱意が無くなっているときがある。
むやみに努力しても、結果がついてこなければ、その努力は間違っている。
どちらもバランスよく、どちらもちょうどいい具合にやらないといけない。
そのちょうどよい具合を相手に学び、相手に教える。
あなたが当然としてやっていることは、本当はすごいことなのかもしれない。
相手がやっていることは、実はすごく簡単なことなのかもしれない。
自分の中だけで勝手に完結せずに。
あなたのソレを周囲と共有してほしい。
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