時代が変わり、誰でも不特定多数の人に向けて容易に情報発信ができるようになった。
この便利さを利用して、インフルエンサーと呼ばれるような人も出てくるようになった。
不特定多数に向けて情報発信するなら、一昔前は、ラジオやテレビ、雑誌に出演するくらいしか方法がなかったし、それは自由にできるものじゃなかった。
今のように、好きなこと、好きなように、好きなタイミングで発信することは、非常に難しかったのだ。
今の時代は、お陰様で不特定多数の人に情報発信できるようになった。しかも簡単に低コストで。
それがどれだけの人にリーチするか、ということはさておき。
情報発信しない人がいるけれど、、情報発信している人は積極的だ!とは思わない。
ツイッターで呟いたり、ブログを書いたりするというのは、積極的ではないと思っている。
道に看板を持って立っているマンションの内覧会のスタッフのようなモノだ。
情報発信しているけれど、積極的ではない。
SNSは不特定多数の人に何かを伝えるツールとしてはもってこいだが、積極性には欠けると思っている。
本当のターゲットに向けて、こちらから伝えることはできないものだろうか。
最近は年賀状を送ることが少なくなった。おおよそどこかのダイレクトメールが年賀状風なテイストでやってくるだけだ。
一方で、インターネットのお友達が増えたからか、オンラインでのやり取りが増えた。
だからといって、それも僕の中では大きく変わりつつある。
数年前までは、LINEやメールで「あけましておめでとう」と個別に送っていた。友達一覧、電話帳一覧の上から順番に。気の利くコメントをつけて。
今年はそれがほぼ無くなった。
代わりにツイッターで「あけましておめでとう」コメントをツイートし、逆にインターネットのお友達がツイートしたそれを見に行くことばかり。
情報発信している側として、傲慢になったな。と感じた。
確かにテンプレのような同じ内容のメッセージをもらっても、嬉しくないし通知が溜まっていくだけのこと。
効率化を求めた結果、「見たいヤツだけ見ておけ」スタイルになってしまったのは、ちょっと寂しくて、ちょっと残念。
個別に、丁寧に挨拶してもよかったな、と思いながら。それはお正月だけのことじゃないな、と反省。
確かにツイッターやブログに書いておけば効率化できるけれど。効率化ばかりを追い求めるのは、ちょっと考えなければ。
そこに届けたい相手、メッセージを伝えたい相手への気持ちはあるのだろうか。
本当にただの「お知らせ」になってしまうのは、どことなく寂しく、あぁ今日もまた手を抜いてしまったな、と反省するばかりなのである。