こんにちわ、スズキ(@acogale)です。
去年の1月に、まずはブログを毎日更新してみようと、はてなブログをはじめました。
今のところ順調に続いています。
ちょっとイメージが変わってきたので、このシステムを変えようか迷っているところです。
さて、僕が中学2年生のころ。
1つ上の学年の先生が、つまり中学3年の担任の先生が、毎日学級通信を出していたという噂がありました。
また、当時お世話になっていた先生も、前の学校では毎日学級通信を出していたとのこと。
B5の用紙に印刷される学級通信。
中学生ながら、それは"すごい"ことだと思っていました。
何をそんなに書くことがあるのだろうか。
どうやってネタを集めるのだろうか。
当時は本当にすごいなぁと思っていました。
だって中学生の僕にはできないと思っていたから。
それが大人になると、意外とできることなんだなぁと気づく。
こんなに簡単なことだったのだろうかと。
簡単というのは言い過ぎだけれども、仕事として取り組むのであれば、学級通信を1通作成するのは、業務的に問題なさそうだと。
今の自分と、中学生の自分、一体なにが違うのだろう。
僕の中で、文章を書くことが好きになったのは、評論文の読み方を習ってからだった。
代々木ゼミナールの舟口明先生の授業。
そこで、文章の構成というものを習った。
「起承転結」という考え方。
その言葉自体は聞いたことがあったけれど、スムーズに受け入れられてなかった。
氏のオンライン授業を聞いたときに、苦手だった"国語"が少しだけ近付いてきたような感じがしたのだ。
起承転結とは。
適当な書き出しがあって、そこから話を膨らませる。
それを"いやいや、違うんだぜ"と切り返し、最後にまとめる。
という文章のことだ。
「転」が無いと、面白い文章にならないということだ。
賛成ばかりしている文章は、新しい気付きや、心に引っかかるものが無いから。
どこかで否定したり、批判したり、ひっくり返したりする。
そんな文章が「起承転結」なのだという。
おおよその、大きな枠の中で教えてもらったことだけれど、それを頭に浮かばせると文章を読むのがスムーズになった。
最近~~~、もうちょっと詳しく話をすると~~~、実は~~~~、~~~というわけなのだ。
みたいなね。
いつの間にか、受験勉強を通して国語が好きになっていた。
といっても、評論文が好きになっただけだが。
そういう考え方を学んだからこそ、ブログとも付き合っていけるのだろう。
僕が文章を書くのが苦手だったとき、学級通信を毎日出すことがすごいことだと思ったとき。
書き方、読み方を学んでいなかったのかもしれない。
今はこの"文章を書く”ということが大好きになったのだけれど。