ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

ワガママな人はカッコいい

ワガママな人はカッコいい。

自分の思いを強烈に推し進めている人はカッコいい。

 

遠慮の塊のような人をたくさん見てきた。そこにそれ以上の宝物があれば、手を貸してあげることもあるだろう。

遠慮ばかりしていると、大勢の中の一人になってしまう。

ワガママであることは、重要なアイデンティティなのだ。

 

大きな目標を掲げるとき、身の回りは大きく変化する。

付き合う仲間も変われば、時間やお金の使い方も変わる。薄く薄く結びついていた関係は、あっという間に消えてしまう。

飲みに誘ったところで、断られるだけ。約束していたことだってすっぽかされる。

そんなヒドい奴らだが、どこか羨ましいと思ってしまうところがある。

 

自分の意に反して、取り繕うような自分と比較して。

断る勇気が無く、乗り気じゃない交流会に参加している自分と比較して。

ノリでOKしてしまった約束を、正直に断ることができない自分と比較して。

 

正直に、ストレートに生きることは、頭で想像するには簡単だが、社会性や常識なんて言葉に囚われて、安全なラインを、誰にも嫌われないラインを攻めることになる。

 

「誰にも嫌われない」というのは「誰にも好かれない」ということだ。

つまりプラスマイナスゼロ。ニュートラルなそのポジションを、本当に求めているのだろうか。

 

楽しい、面白い、最高だ。なんて気持ちを表現して、それが伝播する。その為には他者の言うことを無視しても、ワガママに自分が楽しんでいなきゃいけない。

明確なラインをこちらがわで引いていかなきゃいけない。

 

「嫌われること」は悪いことなのだろうか。

ラーメンよりハンバーグが好き。お好み焼きより焼きそばが好き。温泉よりプールが好き。という程度のことだ。

嫌われたからといって、全否定されるわけでもない。マイナスではなく、限りなくゼロに近付くだけだと思っている。

 

ワガママに道を切り開いてくれる人たち。それがリーダーなのかもしれない。だからカッコいいのだ。

もちろんワガママの方向が、どこに向かっているのかは、吟味する必要がある。私利私欲のためのワガママであれば、ちょっと距離を置いてしまうだろう。

 

そうじゃなくて。何か別の目的や目標があるのであれば。

強引にでも、前を走って行ってほしいもの。非難の矢をあびながら、それでもワガママに走ってくれる人は本当にカッコいいもの。

 

嫌われるのは悪でもないし、ワガママは悪でもない。どちらを選ぶか、の選択肢の1つに過ぎない。

 

ワガママな人はカッコいい。それは自分の意見を持っているから、それを達成しようとしているから。周囲の人たちは振り回されて疲れていくかもしれないが。

先が見えているのであれば、ワガママにもなってしまう。

 

カッコいい自分になるためには、ワガママになるのではなく。明確な未来に向けてちょっと強引にでも走ることが重要だ。

結果として、それがワガママに映るだけなのかもしれない。

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

  • 作者:岸見 一郎,古賀 史健
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2013/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)