こんばんわ、スズキです。
僕が知っている中でも、何人もの文豪が自殺しています。
三島由紀夫先生、川端康成先生、太宰治先生、芥川龍之介先生。
どうして自殺をしてしまったのか、真相は本人しか分からないものです。
ただ僕がなんとなく感じたことを、少しだけご紹介できればと思います。
僕は文豪では無いし、小説を書いたこともない。
ただブログを書いているに過ぎない人だけ。
文章を書くときに色んな気分になることがある。
楽しくてワクワクしているとき、悩みがたくさんあるとき、想像の世界の中を飛び回っている気分のとき。
いろんな気分のときがあるのだけれど、僕が一番書きやすいと思う気分は「悩んで悩んで塞ぎこんでいる」とき。
陽気に明るいときは、文字が出てこない。
もしこれが、作曲をしていたり、絵を描いていたら、もしかしたら違うかもしれない。
またそれは、僕だけの問題かもしれないけれど、深く考え込めば考え込むほど、楽しい文章が出てくるし、自分の重みのある言葉が出てくる。
「厭世観」つまり悲観主義である感覚だろう。
本当はポジティブで楽観的にしていたいのだけれど、どこかで後ろ向きな悲観主義な自分が好き。
悲劇のヒロインごっこをしているような気持ち。
そんな重たくて後ろ向きな気持ちであればあるほど、書きたいことがどんどんでてくるというスズキの性質。
僕は文豪ではないので1日のうちで1時間程度、一人ぼっちになりながら悲壮感に浸ったり、マイナスの窮地に追いやってみたりする。
意外とそういったときが心地よくて、自分の内面と話ができるような気がする。
何をそんなに悩んでいるのか、どうしていきたいのか、なぜ別の選択をしなかったのか。
そんなことをバカみたいに深く深く考えていると、自然と言葉が出てくる。
しかも、その言葉は悲壮感たっぷりな言葉だけではなく、明るくポップで弾けているような、そんな言葉も出てくるから驚きだ。
できれば夜の遅い時間、周囲の雑音が少ないときに自分と向かい合う。
本当は息もしたくないくらい張り詰めた空気の中で考え事をしているのは、ひどく気持ちがよく頭がスッキリするもの。
そんな中で自分を追い込んでいくから、楽しくて楽しくて。
サドとかマゾとか、そういうことで言えば、これはどちらも両立しているんだと思う。
ゴリゴリ押し込めてくるS役の自分と、それを受け入れてしまうM役の自分。
だから余計に、自分の中に抱え込んでしまったり、塞ぎこんでしまうことが心地よくなる。
考え事をするときに、若干ではあるが息を止める癖がある。
そこにもエネルギーを使いたくないし、静かな自分でいたいから。
頭をモリモリ使いながら、その思いを押さえつけながら出てくる言葉は素敵なものだらけだったりするから。
文豪が自殺をする理由は、その本人しか分からない。
それに文豪の自殺割合が多いのか少ないのかも分からない。
ただ僕が文章を書こうとするときは、悲壮感に溢れているから。
それが毎日続けば、特に一人で毎日書いているようなことがあれば、どんどんマイナス要素が強くなるんだろうなぁと思うときがある。
たまにふわっと「自殺」とかについて考えてしまうときがあるから。
内向的な感覚がちょっと強め。
自分の中で処理しようとしたり、抱え込んでしまったり。
僕自身でさえ、体調がすぐれないときだったら、誤って道を踏み外しそうになることもある。
ただ、僕にはそこまで縛られる要素が少ないから今は普通でいられるだけだろう。
また「死」について書くことがあればなおさら。
少しずつ危ない方向へ進んでいくような気がする。
これはスズキが勝手に思っていることなので、実際のところは分からないが。
毎日ブログを書いていると、たまにね、そういった気分になることもある。
そういう気分になっているときも、哲学的というか、頭がフル回転しているとことか、割と好きだったりするんだよね。
何かあるわけではないけれど、振れ幅の大きいスズキが、陽と陰を行ったりきたりしている。
不安定になりがちだから、ちょっと気をつけておきたいと思うことだった。