好き嫌いがあるから、類は友を呼ぶのだろうと感じた。
同じような感性、同じような気持ち、同じような経験があるからこそ、集まるきっかけがあったり。
類は友を呼ぶから、そこにどっぷり浸かってしまうと現状維持になってしまう。
あるときに「違和感」を感じたなら、そのグループから自分が変化しようとしているところ。
「あれ、これ違うぞ」と思ったら、成長している証なのだ。
ではそれを感じないときはどうしたらいいか。
自分から別の輪に飛び込んでいくしかない。
その「別の輪」はすごく気持ち悪い集団だったりする。
自分とは正反対だったり、嫌いな人の集まりだったりするのだ。
例えば保守的な環境で育ってきたとして、攻撃的な人は好まない。
好まないからこそ、攻撃的な人の輪に入ると見えることや学ぶことがある。
サラリーマンであるあなたが、フリーランスの輪に飛び込んでもいいだろう。
サラリーマンには馴染まない新しい刺激があるかもしれない。
そして、その刺激は気持ち悪く、嫌いになるような要素を持っている。
だけど、そこですぐに心のシャッターを閉めてしまうのではなく、ちょっとくらい間口を開いてやってもいいかな、と思うことで新しい視点が手に入る。
それは、今まで自分が避けてきたものかもしれない。
わざわざ嫌いなところに飛び込む、耐える。
それだけで大きくものの見え方が変わる。
そして、いつの間にか好きと嫌いが逆転していることも。
好き嫌いは絶対的なものではなく、相対的なものなのだ。