「僕、怒らないんですよ」
と、友人が言った。確かに友人が怒っているところを見たことが無かった。
そんな友人だからか、すごく居心地がよくて、いつもお世話になってしまう。
怒らない生き方について考えさせられて1ヶ月ちょっと経って感じたことは、「ドライな関係」だった。
怒らない人は、他人に優しい人だと思っていた。怒らない人はニコニコしている人だと思っていた。
先述の友人の考えは分からないけれど、僕の目線で「怒らない人」を切り取ったら。それは「ドライな人」だった。
他人に期待しない人、他人に執着しない人、他人を自分の配下にしようとしない人。
どうぞご自由に。という気持ちがベースにあった。
手を取り合って一緒にやっていこう。とは思わず、無理ならそれっきり、さようなら。という印象が強かった。
どこかで自分のことを応援してくれている人がいる、自分の居場所がある。
やりたいことや得意なことを発揮できる場がある。
その場を失ったとしても、生きていける環境がある。
とすれば、怒ることもなくなった。
その代わり、相手のゾーンに立ち入ろうともしなくなった。期待しなくなった。
怒らないことだけを注目していたら、なんだかちょっと違う方向にいってしまったのは事実。こんな答えを見たかったわけではないのだけど。
ただ、意外にもドライな気持ちしか残らなかったのだ。
「怒らない」というより「感情を持たない」に近い様子かもしれない。
ただただ目の前の事実を、ただの事実として受け止める。
「怒らない生き方」を考えて続けて1ヶ月の感想は「ドライ」だった。
もう少し怒らないままでいたら、違う面が見えてくるのかもしれない。
とりあえずの感想として、ここに残しておきたいのだった。