ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

僕が抽象的に話をする気持ちを、具体的に3つの理由で語ってみた。

こんにちは、スズキです。

 

僕の意見、話し方、表現の方法。

「抽象的だね」

と言われることがあります。

 

この「抽象的だね」という書き方が、既に抽象的だということに気付いています。

 

もっと具体的に書くとしたら。

先日の懇親会の場で、会社の1年先輩になるFさんから「スズキくんの意見は、いつもぼやっとしている。具体的に案や考えを言ったほうがいい。抽象的な意見は相手に刺さらないぞ」と言われました。

 

と書くべきなのでしょう。

 

そう考えると僕の意見、ブログの記事、会議での発言。

それは非常に抽象的なモノが多いです。

 

なぜ抽象的になるのか

頭で理解しているけど、それを行動しない理由は次の3つ

  1. 具体化することが面倒
  2. 責任逃れ
  3. ビジョンを広げ、考えに余白を残す

 

それぞれについて、今回は具体的に話をしたいと思います。

 

1.具体化することが面倒

これは僕の怠慢です。

先ほどの「抽象的だね」を例にしてみると。

抽象的に書いた場合は5文字で済むところを、具体的にすると91文字必要になります。

18倍の差があるわけです。

 

ここに僕の手抜き思考が出てきてしまうんですね。

これくらいで伝わるやろ!!と思うことで納得させています。

 

ユーザビリティよりも、自己満足に傾いているわけです。

これが理解できないヤツはターゲットじゃない、と歪んだ思考になります。

 

2.責任逃れ

具体的な要求をしてくる人には2種類のタイプがいます。

  1. 自分ごと化しているものの、良いアイデアが出てこない
  2. とりあえず、その場しのぎのネタがほしい

1の場合は具体的な話をしても、そこに相手自身の考えを織り交ぜながらゴールへ向かいます。

2の場合は残念なことに、言われたことをそのまま受け止めます。

思考停止のまま、人のアイデアを使うわけです。

 

そうすると何が起こるか。

小さな前提条件の違いにより、成功しない場合があります。

その責任を、アドバイス"してくれた人"に求めるのです。

 

飲食店オーナーへのアドバイスで。

「金曜日は飲みにくる人が多いですよ、木曜日の1.5倍くらいの来客が見込めます」

なんて言うと、それをそのまま受け止めてしまう。

大雨の金曜日でも、前日の1.5倍だ!!!と意気込んでしまう。

 

具体的にアドバイスすることで、レベルが低くなってしまったり、思考停止してしまうことがある。

そういう人たちから、あーだこーだ言われないような責任逃れの術で具体的に言わないことがあります。

 

3.ビジョンを広げ、考えに余白を残す

最後はこちら。

「ビジョンを広げ、考えに余白を残す」

これは相手に主体性を持ってもらいたいから。

具体的に説明することで、固定観念や先入観が出てしまう。

  • 「自分が楽しいコトを作文にしてみよう」
  • 「自分が楽しいコト、サッカーやテニスの作文を書いてみよう」

具体的に言うことで、選択の範囲を狭めてしまうのです。

 

「サッカーやテニスについて書かなきゃ」と思う人

「サッカーやテニスや野球みたいなスポーツについて書かなきゃ」と思う人

「サッカーやテニスや野球や茶道みたいな部活について書かなきゃ」と思う人

 

具体的な例を出すことで、大きくその方向に思考が振れてしまうことが懸念されます。

自分で考えてみろよ。という意味も込めて、僕はふわっとした抽象的な話になるのです。

 

誰にも刺さらないけど、擦り傷程度になる

個別具体な内容でないからイメージしずらかったり、ワクワクすることがない。

だから、とどめの一撃になったり、大きな共感を生むことができない。

 

つまり「相手に刺さらない」内容になることが考えられる。

モヤモヤがスッキリしたり、そこから一歩踏み出せるようなキラキラした内容ではないのだ。

 

ただ、致命傷にならなくても、かすり傷程度にはなると思っている。

ちょっとすりむいちゃったな、その程度でいい。

 

その先、目の前で起きた小さな事象を深く掘り下げていけるのは、自分自身で行動した人に限られるから。

「優しい手を差し伸べてもらっている」レイヤーから、一段階ステップアップしなきゃいけないのだ。

 

具体的なアドバイスは最短距離で走れるかもしれない。

しかし、それに甘んじていると思考停止になり、失敗したときのリカバーができなくなる。

 

抽象的なアドバイスは、そもそもアドバイスの答えになっていないかもしれない。

が、そこから自分の欲しいモノをチョイスできることで、オリジナルな「自分の意見」ができると信じている。

 

ということで、今回は「抽象的に話をする理由」について、具体的に語ってみた。

 

 

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やるか、やらないか、それだけのことだった。

こんにちは、スズキです。

インターネットでブログや記事を書いて生計を立てている方に、話を聞いてもらう機会がありました。

 

アクセスアップ、記事の書き方、どうやったら共感が生まれるのか。

 

それに対する回答は、至極簡単で「やってみれば?」というものでした。

 

自分を表現しきれない

僕は平たい文章を書くのが好きなんです。

クールにスマートに。

そういう文章を書くのが好きなんですけどね。

 

それだと自分を表現しきれない。

もっと声を大にして言いたいことや、驚き、衝撃,そういったモノが表現しきれません。

 

それなら、文字を大きくしたり、太字にしたり。

そういう文章を書けばいいけれど、、、、、

と、勝手に難しく考えてしまう悪い癖があります。

 

実際にやってみないと結果は分からない。

またやってみることにも意味があるとアドバイスをもらったんですね。

 

やるか、やらないか

自分を表現できないのが問題ではなく、それをやらないのが問題。

「できない」じゃなくて「やらない」だけ問題です。

 

自己満足の理想を追い求めるばかり、肝心なことを忘れがち。

それは相手に対して、どんな印象を与えるか。

 

自分の中の勝手なルールに縛られて、本来のやりたいこと、叶えたいことが叶わない。

なんていう本末転倒な結果になってしまうのだ。

 

失敗であれば、失敗だと本当に気付くことが大事で、机上の空論だけで済ませるのはナンセンス。

本当にやってみればいいだけ。

ということを痛感した。

 

等身大の自分をぶつけること

対象の相手に対して、自分は何を伝えたいか。

相手を目の前にして、何をどうしたいのか。

 

そういう面をハッキリさせた後、自分自身でぶつかりに行く必要がある。

自分自身で考えたソレを、もっと相手にぶつける。

そう思っていても、結局はそれを「やる」か「やらない」かしか変わらない。

 

もう少しで突破できそうな壁

そうやって悩むと言うことは、目の前に壁があるということ。

その壁に守ってもらってる分、自分のパワーも相手に伝わらない。

だから壁を早く突破したい。

ぶちこわすのか、乗り越えるのか、回り道をするのか。

 

選択肢がいくつもあるので、自分に都合のいいやり方を、早々に選ぶべき。

その壁を突破したときの快感を早く味わいたいものだ。

 

壁を突破した快感を味わったところで、次の壁が出てくるので、次に向けて再度頑張る必要があるけれども。

 

 

たった1分で相手をやる気にさせる話術ペップトーク

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最近感じる「オレ、あともうちょっとや」というところにいる自分

こんにちは、スズキです。

 

最近、人と会話してますか、血の通った会話になっていますか。

自分の思いをしっかり伝えていますか。

 

そんな話をしているときに、アイツすげぇやつだな。と思うこともあれば。

相手から「おまえすげーじゃん」と言われることもあります。

 

僕は適当なことを、適当に言うのが得意です。

もちろん害のないレベルの話です。

 

エレベーターのボタンを押したら、たまたま同じ階で止まっていたとき。

一瞬で扉が開きますよね。

 

そんなときに「前もって、オレがエレベーター呼んでおいたんや」と言ってみたり。

 

その程度の「嘘」というかスズキジョークを言う。

そうすると「スゴい」と言われる。

 

僕の中では適当に言っているだけなのに。

 

例えばそんな小さなことでも、自分が他の人より、ちょこっと優位な場所にいる。

だから、それをどんどん積み重ねていけば、オレってスゴいヤツになれるかも。

と思ってみたりする。

 

その一方で、なかなか周囲の人に言えない部分もある。

ジョークっぽさがないと、まだ言えない自分がいるのだ。

 

それを本気で言えるように、いつでも自分をアピールできるようになれば強いだろうなと。

肩書きのようなもの。

それは、今の自分ではなく、半歩、1歩先に見える自分のことを言う。

やべぇやべぇ、ちょっと足りてねぇぇぇと思いながら、ピッチを上げて努力する。

 

という繰り返しができる。

 

だからこそ、もうちょっと自分に自信を持って、言ってみたらいい。

言ったからにはやらないと。。。。となる。

僕はお尻に火がつかないとやらない。

お尻が大炎上しないとやらない。

 

それなら先に火種を用意しておけばいい。

 

というスタンスだ。

 

とにかく毎日の一つ一つを宣言し、その約束を守るようにする。

そうやって追いつくことで、ステップアップできると思っている。

 

まずは自分で宣言すること。

僕は誰なのか、どんなことができるのか。

まだまだぬるいお湯につかっているから。

 

今すぐにでも大きな声で宣言したいのだ。

 

 

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たまに自分が神様だと思うときがある。

神様の定義とは。

そんな小難しいことは気にしなくていい。

 

すごく調子がいいとき、まるでマリオがスターを取ったときのように。

俺って無敵だな。

そんなことを感じる日がある。

 

会いたい人に会える、行きたいところに行ける。

全てが順調。

 

あぁ、俺って神様なのかもしれない。

 

調子が良いと言い続ければ、いつの間にか調子が良くなる。

絶好調だと思えば、絶好調でいることができる。

 

例えば「時間を守らない」ということで、いろんな人から指摘されたとしよう。

絶好調であるスズキは「おぉ、時間のこと、最近めっちゃ指摘される、やべぇやべぇ、これが今の俺には足りていないんだな」

一方で、絶好調じゃない太郎君は「どいつもこいつも、時間時間ってうっせーよ」

と思うだろう。

 

どちらも同じこと。

時間を守れ!!とご指導いただいたとして、受け止め方が違うだけで、気分もその先も、まったく違うものになる。

 

神様だから。

また怒られるときに「ほらほら、時間を守れってことでしょ???やっぱりねー」と答え合わせをするようになる。

まるで未来を予測できるかのように。

 

僕の意識の中、僕の考えうる範囲で物事が動いているかのように感じる。

未来を予測できる特別な人に、神様のようになれた気になっている。

 

何かを意識することによって、取捨選択もしやすくなり、自分の行きたい方向へ行きやすくなる。

いつの間にか、思い描いていたような道が現れ、そこを歩いていくだけでよい毎日になる。

 

ほんの小さなことかもしれないけれど、思い描いていたことが実現すると、ルンルン気分になるものだ。

いつの間にか神様になったかのように。

 

ちょっとした思い込み、ちょっとした思考の変化で、毎日がガラリと変わる。

別に「神様」でなくてもいい。

が、強く思い込むことで、それに近しい人になれることは間違いない。

 

僕は神様として、そう自分を信じて生きていくのだろう。

 

 

神さまとのおしゃべり -あなたの常識は、誰かの非常識-

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僕が今一番大事にしなければいけないことは、求めるレベルを落とすこと

こんにちは、スズキです。

 

僕は自分にとっても、相手にとっても高いレベルを求めてしまいがちです。

もちろんレベルが高いほうがいいんだけど、いつの間にか重箱の隅を、あら探しをするくらいになってしまうときがあります。

 

どこかにプロだ、とか、根性だ、とか。

そういう気持ちがあるのでしょう。

 

おままごとのようなことが大嫌いなんです。

それは自分自身にとっても。

適当なところでやめられない。

自分が目指しているソレができるまで走ってしまう。

 

結果、何も完成しなかったり、そもそもそこに着手できていないというケースが多いです。

もっとレベルを下げることで、「あぁこの程度でもいいんだ」と自分の中で納得できるようにならないといけません。

 

それ相応の年齢になり、経験も積んできました。

だからといって、僕と知り合う人、僕と関係のある人が、みんな僕と同じ経験でもはないので、どこかでズレやギャップができてきます。

 

そこにゴリゴリ攻め込んだところで建設的な話もできなければ、お互いが納得するわけでもない。

ちょうどいい案配ではないんですね。

やみくもにレベルを上げること、高いレベルのモノを求めるのがいいことではありません。

 

求めすぎてしまうと、ただの嫌がらせになってしまうから。

その程度でもいいんだよね。

と言ってあげられるほどの、ちょうどいいところを見つけることが重要です。

 

それは僕自身においても。

結局、失敗やミスを恐れて何もやらない。

どうせやったって、その程度のレベルでしかできない。

言い訳にすることで、何もしないという選択肢を正当化しようとしています。

 

もっと気軽に、簡単に考えて、この程度でもいいと言えるように。

そうすれば、そこから出てくる失敗、間違った道を覚える。

より正確に、行きたいところへいけるようになる。

 

その積み重ねでしかありません。

だからこそ、レベルを下げる。

というか、行動量を増やすことが僕自身には求められていることだと思っています。