ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

たまに自分が神様だと思うときがある。

神様の定義とは。

そんな小難しいことは気にしなくていい。

 

すごく調子がいいとき、まるでマリオがスターを取ったときのように。

俺って無敵だな。

そんなことを感じる日がある。

 

会いたい人に会える、行きたいところに行ける。

全てが順調。

 

あぁ、俺って神様なのかもしれない。

 

調子が良いと言い続ければ、いつの間にか調子が良くなる。

絶好調だと思えば、絶好調でいることができる。

 

例えば「時間を守らない」ということで、いろんな人から指摘されたとしよう。

絶好調であるスズキは「おぉ、時間のこと、最近めっちゃ指摘される、やべぇやべぇ、これが今の俺には足りていないんだな」

一方で、絶好調じゃない太郎君は「どいつもこいつも、時間時間ってうっせーよ」

と思うだろう。

 

どちらも同じこと。

時間を守れ!!とご指導いただいたとして、受け止め方が違うだけで、気分もその先も、まったく違うものになる。

 

神様だから。

また怒られるときに「ほらほら、時間を守れってことでしょ???やっぱりねー」と答え合わせをするようになる。

まるで未来を予測できるかのように。

 

僕の意識の中、僕の考えうる範囲で物事が動いているかのように感じる。

未来を予測できる特別な人に、神様のようになれた気になっている。

 

何かを意識することによって、取捨選択もしやすくなり、自分の行きたい方向へ行きやすくなる。

いつの間にか、思い描いていたような道が現れ、そこを歩いていくだけでよい毎日になる。

 

ほんの小さなことかもしれないけれど、思い描いていたことが実現すると、ルンルン気分になるものだ。

いつの間にか神様になったかのように。

 

ちょっとした思い込み、ちょっとした思考の変化で、毎日がガラリと変わる。

別に「神様」でなくてもいい。

が、強く思い込むことで、それに近しい人になれることは間違いない。

 

僕は神様として、そう自分を信じて生きていくのだろう。

 

 

神さまとのおしゃべり -あなたの常識は、誰かの非常識-

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僕が今一番大事にしなければいけないことは、求めるレベルを落とすこと

こんにちは、スズキです。

 

僕は自分にとっても、相手にとっても高いレベルを求めてしまいがちです。

もちろんレベルが高いほうがいいんだけど、いつの間にか重箱の隅を、あら探しをするくらいになってしまうときがあります。

 

どこかにプロだ、とか、根性だ、とか。

そういう気持ちがあるのでしょう。

 

おままごとのようなことが大嫌いなんです。

それは自分自身にとっても。

適当なところでやめられない。

自分が目指しているソレができるまで走ってしまう。

 

結果、何も完成しなかったり、そもそもそこに着手できていないというケースが多いです。

もっとレベルを下げることで、「あぁこの程度でもいいんだ」と自分の中で納得できるようにならないといけません。

 

それ相応の年齢になり、経験も積んできました。

だからといって、僕と知り合う人、僕と関係のある人が、みんな僕と同じ経験でもはないので、どこかでズレやギャップができてきます。

 

そこにゴリゴリ攻め込んだところで建設的な話もできなければ、お互いが納得するわけでもない。

ちょうどいい案配ではないんですね。

やみくもにレベルを上げること、高いレベルのモノを求めるのがいいことではありません。

 

求めすぎてしまうと、ただの嫌がらせになってしまうから。

その程度でもいいんだよね。

と言ってあげられるほどの、ちょうどいいところを見つけることが重要です。

 

それは僕自身においても。

結局、失敗やミスを恐れて何もやらない。

どうせやったって、その程度のレベルでしかできない。

言い訳にすることで、何もしないという選択肢を正当化しようとしています。

 

もっと気軽に、簡単に考えて、この程度でもいいと言えるように。

そうすれば、そこから出てくる失敗、間違った道を覚える。

より正確に、行きたいところへいけるようになる。

 

その積み重ねでしかありません。

だからこそ、レベルを下げる。

というか、行動量を増やすことが僕自身には求められていることだと思っています。

 

 

 

あなたが知っているソレは、他の誰かが知らないソレかもしれない

みんながみんな、同じ道を歩いているわけではない。

生まれた地点が違うので、そもそもスタートから違っている。

 

北に歩くもの、東に走るもの。

人それぞれに生きている。

全力疾走する人がいれば、ぐーたら寝てるだけの人もいる。

 

100人いれば、100通りの人生があり、1億人いれば、1億通りの人生がある。

 

至極当然で、当たり前のことだが、それに気付かないことが多い。

 

僕が知っているであろうことを全て知っている人はいない。

あなたが知っていること全てを僕が知っているわけではない。

 

小さなことから、難しいことから、人それぞれに知識や理解度は違う。

もちろん答えが同じだからといって考え方が同じとは限らない。

 

リンゴが3つ入ったカゴが5つあります。

リンゴはいくつですか。

 

僕の頭の中では

3×5=15 15個だ。

 

小学1年生に聞いたとしたら。

同じく15個と答えてくれるだろう。

 

その計算方法は

3+3+3+3+3=15

かもしれない。

 

答えは同じでも過程が違う。

小学1年生は掛け算を知らない。

 

 

大人になって、ある程度は共通して意思疎通ができると思っていた。

それが全くうまくいかないことがある。

考え方の違い、前提の違い。

ただそれだけのこと。

 

省エネ、楽をするあまり物事をちゃんと説明しなくなる。

かといって、1から100まで全て説明したら、それはそれで面倒くさいやつだと思われてしまう。

 

どの辺がちょうどいいのか、それを決めるのは知識であり経験である。

 

最近の僕は、そこをツッコみたくなっている。

知っていても、分かっていても「これってどういうことですか?」と聞いてしまう。

それは嫌がらせではなく、もう少し理解を深めたいから。

 

僕は足し算で計算していたことを、相手は掛け算で計算しているのかもしれない。

そんな術があったのか!!

と知りたいからだ。

 

質問の答えが、僕の予想の範囲内のこともある。

いわゆる「想定内」というヤツだ。

 

それはそれで「オレって成長したんだな」

と思う。

 

憧れのあの人に質問をするとき。

僕の中には答えがある。

その答えと、相手の答えをすりあわせていく。

できるだけ近いものにしていく。

同じ感覚を備えるために。

 

共感が得られるから。

 

 

結果だけで判断することもある。

努力を判断してくれるときもある。

どちらも大事、どちらも備わっていないとダメだ。

 

結果を求めるあまり、過程を疎かにしているとき、過程をすっとばしているとき」

振り返ったときに、そこに気持ちや熱意が無くなっているときがある。

 

むやみに努力しても、結果がついてこなければ、その努力は間違っている。

 

どちらもバランスよく、どちらもちょうどいい具合にやらないといけない。

そのちょうどよい具合を相手に学び、相手に教える。

あなたが当然としてやっていることは、本当はすごいことなのかもしれない。

相手がやっていることは、実はすごく簡単なことなのかもしれない。

 

自分の中だけで勝手に完結せずに。

あなたのソレを周囲と共有してほしい。

 

 

『当たり前』の積み重ねが、本物になる ~凡事徹底――前橋育英が甲子園を制した理由~

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気持ちがモヤモヤしている時点で、自分には2通りの「素直」がある。

こんにちは、スズキです。

最近、特にモヤモヤしていることがあります。

それは

「人を好きになる」

ということです。

 

彼氏彼女の恋人関係。

そういう「好き」ではありません。

ごくごく自然な付き合いの仲間のことです。

 

そのモヤモヤしている原因は、理想と現実のギャップが引き起こしています。

 

僕の理想

多くの人に好かれたいし、多くの人を好きになりたい。

せっかくのご縁を大切にしたい。

もっと相手のことを知りたいし、仲良くなりたい。

 

これが僕の理想です。

仲間内で集まればワイワイと話がしたいし、初対面の人とも楽しく会話がしたい。

ちょっとリア充っぽいでしょ。

 

他にも知らない人とコミュニケーションをとりたいし、困っている人がいたら助けたい。

優しい言葉をかけてあげたい。

 

僕の現実

現実では、多くの人を好きになりません。

見た目、雰囲気、しぐさ、そういったもので強く判断してしまいます。

自分の中で、特に居心地の良いと思う人にしかアプローチをしません。

 

自分は自分だし、他人は他人。

僕が良ければそれでいいと思います。

 

積極的に他人に干渉しないし、干渉されるのも嫌です。

 

どちらを選ぶか

理想の自分、現実の自分。

どちらを選ぶか、答えは出ません。

 

どちらを選んでも自分にとっての「素直」だと思うからです。

少し苦しい思いをしながらステップアップすることも大事だし。

今の自分の気持ちに反しないのも大事。

 

もしかしたら1年後、3年後、どこかのタイミングで気持ちが大きく変わるかもしれません。

 

2通りの素直

僕の中で2通りの素直がいました。

どちらも両極端にあり、一方を選ぶと他方を抑えることになる。

そんな関係でした。

 

その間でモヤモヤしている今だからこそ、アウフヘーベンしそうな気もしています。

僕の中にある2通りの「素直」

お互いにぶつかりあい次のステージに行く。

アウフヘーベンする。

 

そのタイミングを実は待っているのかもしれません。

 

今は見えないものが見えるように

2通りのどちらかで悩んでいるとき。

その選択肢が軽微なものでなければ。

かつ丼にするか、天丼にするか程度のことであればいいけれども。

 

そうでないのなら、何かを見落としているのかもしれません。

自分が今気づいていない何かを見つけたとき、その2通のうち、どちらか一方を自信をもって選ぶでしょう。

 

そこに気付くために、それを意識するために。

両極端の事象でジレンマを感じていると信じています。

 

ジレンマを感じるから、その事象を意識しだす。

意識しだすから、小さな出来事にも気付くようになる。

その普段はスルーしてしまうような小さな事象の積み重ねで選択肢の方向性が固まる。

 

いつか悩みがスッキリする。

そんな日がくると信じています。

 

 

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

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1年前のこと、覚えていますか。ふとしたきっかけで記憶が蘇ってきます。

こんにちは、スズキです。

1年前は何をしていたのか、ふと気になることありませんか。

 

どこかで過去の自分を確かめながら生きているみたいです。

1年前の3連休。

池田町に行っていたことを思い出します。

 

養鉄トレクルが2016年7月の3連休にスタートしたからです。

「これを記事にしよう」と思って出掛けたのが3連休の2日目でした。

 

www.yare.style

 

僕が取材っぽいこと、自分の足でネタを集めに行こうと思ったキッカケの一つです。

 

それから1年が経ちます。

今日は京都にいます。

 

そういえば養鉄トレクルでお話しさせてもらった池田温泉の総支配人から教えて頂いた温泉があることを思い出しました。

 

船岡温泉と錦湯です。

 

ちょうど1年前にキッカケをもらっていたことに驚いています。

 

偶然、チャンス、キッカケ。

そういったものに気持ちを寄せてしまうところがあります。

勝手に「運命の出会い」を信じてしまいます。

 

だからこそ1年前の出会いが、京都に今日来ることによって鮮明に思い出されているわけです。

どこかに偶然を信じてしまうところがあるようです。

 

信じることからパワーをもらう。

偶然は偶然起こるのか。

偶然は必然なのだ。

今起きていること、過去に経験したことには全て意味がある。

そんなことを言う人もいるでしょう。

 

ぼくは偶然を信じるタイプです。

勝手に色々な要素を掛け合わせて、ひとりで盛り上がっています。

 

通勤途中の信号が青ばかりだったらラッキー。

エレベーターが混んでなかったらラッキー。

そうやって自分の中にラッキーを積み重ねていきます。

より「ラッキー度」が多いものに胸がキュンキュンしてしまうんです。

 

先日も、参加していたサークルの最初と最後の飲み会が同じビルだったことに感動していたわけですが。

過去の何かを引っ張り出してくるには、その事象について深い思い入れがないと難しいでしょう。

定例で決まっているものは別ですけど。

 

1月1日はお正月とか、2月14日はバレンタインデーとか。

自分が適当にやってきたことを思い出すのは難しいものです。

どこかで本気の力、パワーを注いでいるんですよね。

 

そのパワーを増幅するために、偶然を紐付けてしまうわけです。

自分の記憶を引っ張りだすことができれば、今生きている自分をしっかり認識することができます。

自分は「こんな過去」を生きていたんだな。

 

過去を振り返るのは云々と言われますが、過去の自分をしっかり認めてあげないと次の一歩が踏み出せません。

 

その為にも、過去の自分が間違っていないと思うためにも。

時々、自分のことを振り返り、安心させてあげる必要があるんですね。

 

 

想い出がいっぱい

想い出がいっぱい