ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

自分作りごっこで板挟み。物事を並立させたい自分。

 宮森先生のつぶやき

 

 

そうできれば苦労しない。

苦労というと語弊があるかもしれないが、それがうまくできるなら悩みも減っていくことと思う。

キャラ作りというより、偏った常識や正義に囚われているんだろうな。

たぶんね、僕の人生のどこかに大きな後悔があるんだろう。

それがずっとずっと足かせになっているから、進むことができない。

それが何か分かればいいんだけれど、人間関係なのか、仕事のことなのか、お金のことなのか、その辺りはよく分からない。

 

これはネットに限ったことではなく、私生活でも同じことだ。

家族用のキャラクターがあったり、仕事用のキャラクターがあったり、恋人用のキャラクターがあったり。

マナーだとか、人を思いやる気持ちとか、そういったものとリンクはしているものの、キャラクター作りって重要なのかな。

 

「キャラクター」と「自分勝手」を履き違えないようにしないといけない。

自分勝手に生きればいいんだという認識は避けたい。

これは「個性」という話にもよく似ている。

 

自分を圧し殺して、周りに合わせて生きていくのも個性の一つだし、キャラクターの一つ。

自分という軸をブラさず、意見していけることも個性、キャラクターの一つ。

相手のことを考えていくと、キャラクター作りも大切だったりするんですよ。

例えば小さな子供相手に「素のオレ」を出したところで、冷たい視線が刺さるだけ。

周りのことを気にするなとか、自分をしっかり持てとか、そういったのとは違う次元の話。

 

そうやって揚げ足をとるわけじゃないし、屁理屈を言うつもりは無いと言いながらも、ひねくれたことを考えてしまう。

あるラインまでは「マナー」や「思いやり」だろうし、あるラインを越えれば「個性」や「キャラクター」になるんだろう。

人間、どこかで二律背反というのか、正反対なモノが共存していると思う。

元気で頑張っている人は、どこかに深い悲しみがあってそれを打ち消す為に頑張っている。

そんな気がしてならないので、どこかでキャラ作りは必要。

 

けれども、キャラ作りがゴールになるような、キャラクターは必要ない。

 キャラ作りは手段の一つであって「元気キャラ」を演じていたら「元気になるかなぁ」と。

元気になったら、こんな自分になれるかな、と考えていくものと思う。

 

何についても反論しているスズキだけれども、反論することがゴールというわけではない。

反論することで、改めてその人が言いたい「本質」を見極めたり、自分の中の考えをまとめたりしている。

その人が主張することのどこかに、自分に響くポイントがあると思うから。

 

どこかで他人のことは「生意気言ってるんじゃないよ」と思っている。

基本的に他人には興味がない。

でもね、そんな考えがあっても、覆すことができない良い意見があったり、気になってしょうがない存在の人ができたりするわけです。

 

斜に構えるキャラクターで、俯瞰的に物事を見たりするわけです。

目的のある「キャラ作り」なら僕は受け入れてみようかと思ったりね。

大きく自分を右に左に振ってみることで、新しい発見があるんだよ。

 

結論「キャラ作りが目的になってはダメ」

ではでは

 

小池一夫のキャラクター新論 ソーシャルメディアが動かすキャラクターの力

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