ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

誹謗中傷だけが嫌なわけじゃない

誹謗中傷が云々と言われるけれど、嫌なのはそれだけじゃない。

真正面からの丁寧な意見も嫌なときがあるし、共感されるのが嫌なときもある。

丁寧に間違いを正してくれることが嫌なこともある。

 

分かりやすいのは誹謗中傷かもしれない。

好意的に見える意見すらも、嫌になったり負担になるから難しいところだ。

 

同じ単語、同じセリフだとしても、友人のAさんからのコメントか、見ず知らずのBさんからのコメントか。

見ず知らずの人だとしても、同年代、同性なのか、年上、年下、異性なのか、によっても大きく変わる。

 

ネットストーカーと言う言葉があるように、繰り返し繰り返しも負担になるものだ。

 

こうやってブログやSNSで情報発信をするとき。全世界の誰からも見える状態なのは承知の上で、誰にも見られたくない記事というのも存在するし、特定のあの人にだけ届けばいい、と思う記事だってある。

 

それに対して、好意的でも、真っ当でも、意見や感想をもらうだけで嫌になるし負担にもなる。

 

それはまったくこちらがわの都合だけれど。