先日のこと。
飲食店のオーナー、個人事業主、学生、サラリーマン、いろんな職種の人と話す機会があった。
そこで感じたことは、「知らない」で済ませられる人がいるということ。
「だってそんなこと知らないから」で片づけるのはあまりにも幼稚ではないだろうか。
「知らない」「知らなかった」という事実は、それはそれで正しいかもしれない。
が、それをクリアするためには、自分が「知りたい」と思うかどうかなのではないだろうか。
給付金のこと、支援のこと、税金のこと、それらを「知らないから」で済ませてはいけない。お金持ちならいざ知らず。
一方で、それは当たり前に知っている、という人もいる。
20代の若者もいれば、70を超えたじいさんもいた。
若者はスマホで情報を、じいさんはテレビや新聞の情報をキャッチしている。
ツールはどうであれ、知ろうとする意識は全く違った。
自分が集めた知識の足りない部分を、別の年代、別の業態、別の属性の人と話をして埋めていく、そんな意識を感じた。
知りたい欲をもって、正しい情報を手に入れたいと思うか。
その確からしさを確かめる方法を持っているか。
ただただ受け身で、情報のシャワーを浴びているだけでは、格差がどんどん開いていく、そんな恐怖を感じたのだった。