こんにちは、スズキ(@acogale)です。
トイレに行ったとき、どの個室を使いますか。
一番手前、一番奥、奥から2番目。
基本的にどこを使っても、目的は達成されます。
目的は達成するけれど、どうしてかこだわりがあって、そのこだわりを叶えたい自分がいるんですね。
トイレのほかにも
トイレのほかにも、こだわりはたくさんあります。
僕は電車に乗るときは、進行方向左側に座るようにする。
パソコンのキーボードはFILCOに限る
外のWi-Fiにはつながない
なんだかんだで、色々とこだわりがある。
他にも
僕の中で、ちょっとモヤモヤする人たち
— スズキ@中国大富豪のお父さん風 (@acogale) 2017年8月29日
1.室内で帽子をかぶってる人、特にキャップ
2.名前を赤色で書く人、自分の名前も他人の名前も
3.液晶モニタに触る人、汚れるからやめてほしい
大問題ではないけれど、僕の中でモヤモヤする人たち
なんてつぶやいた。
害が無いこだわりも害になる
僕の中ではたいしたことがないことも、誰かにとっては問題だったり。
こだわりのせいで、スムーズにいかないことだってある。
別に電車の席が右側だろうと、座って目的地に着くのだから全く問題がない。
けれども、その小さなこだわりのせいで、モヤモヤから怒り爆発になってしまう。
なんてことも。
こだわらないこだわり
そしたら、もうこだわらないことが一番なのかと思う。
つまり「こだわらないこだわり」
それはそれで、意思が無いとか、優柔不断とか。
そういうレッテルを貼られるのかもしれない。
ふわふわしているのも、また問題だということだ。
こだわることで、楽をしたい
優柔不断になりたくないから、こだわりを持つ。
ルールを自分でもうける。
そうすれば、選択することへの負担が減る。
こだわることは、楽をすることなのかもしれない。
過ぎたるは、なんとやら
なんでもやりすぎはダメだということ。
自分の意思決定のために、こだわることはいいこと。
融通が利かなくなってしまっては、邪魔なヤツになるだけ。
かといって、ふわふわしているのも問題。
その微妙なバランスを身に着けることが、社会性を生む。
ちょうどいいところを探すのも、またこだわりなのかもしれない。