こんばんわ、スズキです。
過去を振り返るシリーズは、一旦おしまいです。
自分の中で、こっそりと振り返ることにします。
2016年4月
と言いながらも、2016年4月ごろにハマっていたもの。
「鈴木先生」という漫画、ドラマ、映画。
その中のワンフレーズ。
「~することが許されているだけ」
という言葉。
許されている
「~できるからスゴい」とか、「~するから偉い」とか、そういったことじゃなく。
ただ、あなたは「~することが許されているだけ」
この言葉を聞いたときに、フッと肩の荷がおりたのを覚えています。
その時に思ったことは「論破する」ことも許されているだけなんだなぁって。
個人的には、論破することも、されることも嫌いなのだ。
もちろん、話に決着をつけなければいけなかったり、どこかに着地しなければいけない時もあるけど。
力でねじ伏せるような、そんな印象があるから。
「いいとこどり」をしたい
最大公約数的な考え。
これが僕の基本。
いいとこどりでいいじゃないのかな。
極端に振れることで、新しいことが生まれる。
思ってもみなかった目線、考え方が手に入る。
それはそれで、非常にありがたいこと。
ただ、それは、それとして、着地するときに、どちらも素敵だね。
って終わりたい。
頭ぐちゃぐちゃ
論破することで、頭の中をかき乱される。
すげー新鮮な意見、すごく嫌いな考え方。
そういったものを、全部含めてたくさん吸収したい。
臭い物に蓋をするような、そんな考え方はつまらないのだ。
考え方の違うもの同士、その「意見」では仲良くなれないかもしれないけど。
話の根幹にあるもの、ベースになっているもの、そういったものをどんどん汲み取らなきゃいけないのだろう。
ツイッターでも
ツイッターにしろ、ブログにしろ、そこに書いてあることを表面だけで捉えると10%くらいしか理解できていない。そのことを100%だと信じてあーだこーだ言ってもしょうがないわけで。
— スズキ@追い風ビュンビュン (@acogale) 2016年12月19日
仮に100%全力で書いた記事があっても読み手が10%くらいしか受け取れていないから。
これが炎上の原因。
こんなつぶやきもしていました。
極端に切り取りたいから、無理やり切り取って、論破したがったり、問題にしてみたり。
それは非常にもったいないこと。
本当は何が言いたいの??
話をしてみないと、じっくり相手と向き合ってみないと、本当のところはわからない。
意見の交流が苦手なら、「詩」について考えてみればいい。
登場人物は
- 何を思っているの
- どこにいるの
- 季節は
- 時間帯は
- 他に登場人物は
- 作者=話者はどこにいるの
本当に言いたいこと、伝えたいことは何だろう。
少しだけ、振れ幅をゆるめて、多くの意見を吸収したい。
論破して、終わらせてしまうのは、もったいないことだ。