モノゴトの捉え方は3段階ある。
表面的に捉える
一般論をぶつける
相手を受け入れる
例えば、家は「持ち家」か「賃貸」か。
大きな結論で言えば「どっちでもいい」のだ。相手によるからどちらでもいい。
人それぞれだから。
だからといって、「人それぞれ」を結論にしてしまうと、何も進まない。
例えば、「持ち家がいい」という情報を聞いたとしよう。
その時に、表面的に捉えるときは、何も考えずにそれを受け入れる。
ただただ「持ち家の方がいい」と思ってしまう。根拠らしいものは何も無く、そう言われたから、それをただただ信じる。
一般論をぶつける人は、「持ち家がいいのは分かるけど、賃貸にだっていいところがあるはずだ、持ち家がいいと言うのはおかしい」と言う。
もちろん、賃貸にだっていいところがあるのは、その通りだけれど。
この場合は、あの場合は、と言い、結局のところ結論には辿り着かない。
相手を受け入れる人は、「持ち家がいい」ということを、受け入れる。
自分が違う意見だったとしても、わざわざ反論じみたことをすることもなく。
条件が違うことも、賃貸にもいいところがあることも分かった上で、相手は「持ち家がいい」と言っていることを理解しているからだ。
持ち家か賃貸か、ということではなく、持ち家派なのか、賃貸派なのか、というだけに過ぎないのだ。
反対意見が出たときに、それは違う!と言わなきゃ気が済まない人は、持ち家か賃貸かというところに焦点があるのではなく、自分の意見に賛成か反対か、がポオイントになっているだけなのだ。
それは議論でもなんでもない。
そうやってレベルアップしてほしいし、張り合わないでほしい。
「人それぞれ」というものが結論だと分かっているのだから。