ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

自由に生きるために、自由を捨てる

自由に生きたい

 

自由に生きたいと思った。

好きなことをしたい、面倒なことから逃れたい。

誰からも干渉されたくない。

 

ここに1枚の画用紙がある。

課題で絵を描かなければいけない。

  1. 山と湖の絵を描くこと
  2. 自由に描くこと

 

「描かなければいけない」という点では本当の自由ではない。

が、絵を描く対象物が指定されているか、自由に描いてよいか。

 

2のほうが自由度が高い。

ただ、自由にされすぎると、何をしていいか分からなくなることがある。

自由というものは怖いものなのだ。

 

僕はフリーランスで働いたことがある。

会社が嫌になった、自由にやりたかった。

フリーランスになると、自由にやれた。

 

好きなクライアントと、お互いが納得できるレベルで仕事ができた。

精神的に解放されたかもしれないが「自由」だったか、と言われればノーだ。

自分でやらなきゃいけないことの幅が広がっただけ。

ルールを自分で作らなければいけなくなった。

 

自分で作ったルールにしろ、それを守らなければいけない。

自由に生きるために、自由を捨ててルールを作ったのだ。

自由とはいったい何者なのだろうか。

 

自由になるためには、自由を制御するための決まりを作る。

不自由だなぁと感じていたときは、その枠が他人軸だったから。

それに馴染めれば、不自由も楽チンだと思うようになれるのだ。

 

自由というのは、誰がハンドルを握るかどうかの違い。

自由が手に入った瞬間、自由では無くなってしまった。

 

自由を諦めたときに「自由」が手に入った。

自由を求めたときに「自由」を捨てた。

 

このややこしい関係、いつまでもイタチゴッコになるに違いない。

"自由"を軸に考えるのは、やめにしよう。

 

 

自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと (Sanctuary books)

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