こんにちは、自分自身を見つめなおす期間中のスズキ(@acogale)です。
闇雲に走り続けて、自分自身が迷子になってしまったので、ポジションを整えてる次第であります。
「自分と向き合う」ということは非常に難しいことです。
「カッコイイことを言ってやろう」と思っても、もう1人の自分が「今カッコつけてるだろ」と注意してくれます。
なかなか話が先に進まないんですね。
一つのことを見つめなおすのに、大変時間がかかる問題です。
そうやって自分自身に嘘をつかず見つめなおしていく中で、「好奇心」について考えてみることにしました。
「社会性と好奇心は相反する関係にある」
「社会性と好奇心は相反する関係にある」
養老猛先生だったか、茂木健一郎先生の講演で聞いた言葉です。
「社会性」という言葉と「好奇心」という言葉の関連性が分かりませんでした。
その後の説明を聞いてようやく理解できたんですね。
具体例で言うと、
例えば説教をしている上司の、頭の生え際が気になったとしよう。
その好奇心のまま、生え際を見つめながら、カツラかな、地毛かな、なんて考えたときには。
上司からはもっと説教されることになるだろう。
ということです。
どこかで、自分自身の好奇心を抑えて、周りとのバランスをとるようになるんですね。
夏休み子ども科学電話相談
夏休みになるとNHKでは「夏休み子ども科学電話相談」という番組が始まります。
大学教授、科学館や博物館の館長さんが、電話で子どもたちの質問に答えてくれるという番組です。
番組を聴いていて「かわいいなぁ」と思う質問もあれば、「おお、マニアックだ」と思う質問も。
- どうして魚は水の中で息をしていなくても平気なの?
- 太陽の色は何色なの?
などと、純粋な質問もたくさん出てきます。
もし僕自身が子どもに質問されても、スマートには答えられないです。
ある程度の道筋ができたとしても、それは頭の中で勝手に理解しているだけで、正しく正確に理解しているわけではありません。
小学生は詳しい
夏休み子ども科学電話相談を聞いていて感じたことがあります。
それは「小学生は詳しい、本当に詳しい」ということです。
自分が好きだと思うことは、まるで図鑑のように本当に詳しいんですね。
電車好きな彼は、東京から博多までの新幹線の駅名を覚えていたり
オウムが好きな彼は、珍しいオウムの名前も良く知っています。
それを覚えてどうなるのか。
損得勘定抜きにして、好きなことには没頭しているんですね。
周囲の目なんて気にしない。
社会性が無くてもへっちゃらと、好奇心だけで生きているんでしょうか。
社会的な意義とはお金を得られるか
子どもたちが、好奇心に没頭できるのはどうしてか。
社会的な意義を考えていないからではないでしょうか。
社会的な意義を定義するなら、周囲から求められているかどうかということです。
周囲から求められている=需要がある。
つまりお金になることなんですね。
知らず知らずのうちに、行動の判断が「好奇心」から「お金を得られるか」に変わっています。
そして「お金にならない」ことを「くだらないこと」と言ってみたりします。
懐かしいと思う自分
好きなことに没頭している子供たちを見て、どこかで懐かしく思ってしまいます。
懐かしく思うと同時に、心にぽっかりと穴が空いてしまっている自分に気付きます。
僕も小さなころは、何でもかんでも首を突っ込んで、興味津々だったなぁ。
あのとき、好きだったことを極めていたら、どうなっていただろうなぁ。
好奇心に任せて生きてみたかったなぁ。
今になってそんなことを感じるんですね。
懐かしいというより、子供たちを羨ましく思う自分がいました。
「当たり前」を求めるあまりに、フラットな自分へ
個から社会へ。
前述の通り、社会性を求めていくと好奇心のままに動けなくなります。
自分の好奇心を押し殺すことが、社会性が身につくということなんですね。
周囲の仲間とうまくやっていくには好奇心を押し殺しながら、周囲との協調性を発揮しなければなりません。
まさにこれが、今の悩みの一つなのです。
相反するものの両方を手に入れたいと思う気持ち。
贅沢かもしれないこの悩みが、僕の中ではホットな話題になっています。
ある意味、「当たり前」とか「社会性」に気付かなかった自分が、そこに気付けたこと。
そうやって気付くことができるキッカケを経験してきたこと。
それが、僕の中での第一歩なのかもしれません。
当たり前を求めて、好奇心を失った。
次は、当たり前をやめて、好奇心のままに生きられるように。
次の一歩を踏み出していきたいと思います。