こんにちわ、スズキ(@acogale)です。
ツイッターでは"今日も絶好調ブロガー"と名乗っています。
調子よく毎日過ごせるんですよね。
予定通りの電車に乗れたり、お昼時に最後の一席に座れたり。
たまに「やっちまった、、、、」ということがあっても、すぐにリカバーできる。
そんな日が続いています。
ただ最近は「この絶好調、本当に絶好調なのだろうか」と考えるようになりました。
絶好調の定義
とにかく調子がいい。
ツイてる、ツイてる。
そんな状況が、僕にとっての絶好調です。
思ったより負担もなく、やりたいなぁと思ったことができる。
食事に誘われた予定が、ピッタリとマッチする。
些細なことかもしれませんが、コトの大小に関わらず負担が少ない。
自分の想定していた枠の中で収まっている印象です。
想像の枠の中
この"想像の枠の中"ということを考えるようになってから「本当に絶好調なのだろうか」と思うようになりました。
ある事柄に対して、予定を立てる。
いくつかの懸念事項や、お金、場所、タイミング、それぞれの段取りが必要になる。
段取りの中にある「このくらいで大丈夫かな??」という感覚の精度が上がってきているのだ。
例えば「ディズニーランドに行こう!」と決めたとしよう。
もう少し具体的に言えば「6月15~16日に一泊二日でディズニーランドに行こう」と決めたとしたら。
10時に入園したいから、駅には9時頃に着きたいな。
ということは、名古屋を6時30分ごろに出る新幹線に乗ろう。
ホテルはパーク内のホテルにしよう。
二人で行ったら、一人35,000円くらいかな。
な~んて、頭の中で考えます。
この予測を基に、当日に向けて準備をしていくわけです。
現状維持が絶好調?
自分の感覚が、その出来事にマッチするかどうか。
それは2通りの考えがあります。
- やりたいことに対して、真剣に考えた
- 自分の頭で予想できることしかやらなかった。
僕の中では、1番を目指したい。
やりたいことに向かって努力した結果、うまくいった。と。
でも、いつの間にか2番になっているのかもしれない。
知らず知らずのうちに「僕のできる範囲はここまででーす」と決め、それより外のコトについては、"やらない"という選択をする。
だからこそ、想定通りの事柄で毎日が過ぎていく。
現状維持を続けることも難しいが、それを積極的に推し進めたとして。
それは本当に"絶好調"なのだろうか。
新しい何かを求めて
自分の中では、もっともっと外に向かいたい。
あんなことや、こんなこと、たくさんの出来事に出会いたい。
ということは、今の僕は停滞しているのだ。
積極的に動けていない。
結局のところ、いつものアレ、いつものトコロ。
絶好調というより、ある限られた範囲での経験値がアップしたということ。
ハプニングがあるのも絶好調に
慣れてきたこと=絶好調
にはしたくない。
ハプニングがあることも絶好調なのだろう。
「終わりよければ全てよし」
と言われるような。
最後は、「あぁ、よかったな」と言えれば、それが絶好調なのかもしれない。
控えめに、控えめに。
毎日同じことをすることで、絶好調"感"を味わうことができた。
次は、新しい場所で。
本当の自分を試してみないといけないだろう。
中畑清氏のように「絶好調男です!!」と言えるように。
次のステージの"絶好調"に向けて。