最近、50歳のおじさんに「お前はさ~~」って言われた。
お酒も進んで気分が良かったときだった。
そのおじさんとは仲が良かったこともあって、何も思わなかったけど。
僕は「お前」と言われた。
おじさんだからなのかもしれない。
20歳年下だから、別に気にもしていない。
50歳のおじさんは、32歳のおじさんに「お前」と言うのだろうか。
このおじさんの口が悪いとか、性格が悪いとか、そういうことではなく。
50歳前後のおじさんの文化が「お前」と言うことに抵抗ないとしたら。
それはそれで受け入れてもいいのかなと。
日本語が通じるので、あたかも同じ意識で話をしているけれど。
年齢、生まれたところ、育ってきた環境によって、通じること、通じないことがある。
たぶん、今までであれば、勝手にシャットアウトしていた。
臭いものに蓋をしていただけだろう。
最近の僕の考えが変わってきたのは、情報発信をしているから。
そして、多くの人と絡んでいるから。
当たり前だと思っていることが通じないことが、当たり前のようにあり。
知っていると思ったことを知らなかったことに気付く。
自分の見ている世界は、本当に狭いものなんだと。
いつの間にか僕が話す言葉は、僕が当たり前のように知っていることで、共通の意識があると思っていた。
それは違ったのだ。
ただ日本語をしゃべることができる人がいるだけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
だからこそ、いきなり怒るのは止めようと思ったのだ。
我慢することが正しいわけではないけれど。
何から何までピリピリする必要もない。
「そういう人もいるんだなぁ」と思う程度にしておいて。
もう一歩、二歩と歩み寄ってみればいい。
歩み寄っても理解できないメンバーであれば、それまでのこと。
実はすごく興味深い人かもしれないのだ。
僕が仲良くしている人は、第一印象は良くなかった。
なぜなら、僕の知らないことを知っていたり、分からないことで盛り上がっている。
だから、その人の良さが全く分からない。
全く分からないから、シャットアウトしていた。
けれども、全く分からないのであれば、シャットアウトせずに分かってみようと思う。
一歩歩み寄ったら、何かが見えるかもしれないから。
何かあるごとにかみつくのを止めにしよう。
「お前~」と言われても、少し我慢したらいいのだから。