こんばんわ、スズキです。
個人的な感覚だけど、最近ハッキリと言う人が少なくなったような気がする。
「ハッキリ言う」というか、声を一言かけるというような意味ですが。
混雑した電車に乗っているとき、奥のほうにいると降りづらい。
そんなときに「降りますー」とか「ちょっとごめんなさいねー」とか。
そういう声が昔はよく聞こえたような気がするのだが。
最近では、無言でグイグイ進む人が多いのは僕の周りだけだろうか。
電車で席を譲ってあげようとか。譲って欲しかったら声掛けてくれればいいのにって思うわけですよ。周りにね優しくしてあげることも大事なんだけどさ、ハッキリ言うことも大事だと。まぁ僕自身が「構ってちゃん」や「察してちゃん」が苦手なだけ。
— スズキ (@acogale) 2016年7月7日
こんなつぶやきをしたこともあるが、自分自身も頭を整理するのが難しい。
自分がハッキリ正面からモノゴトが言えるかと問われれば、100%イエスとはいえない。
だまっていることもあるだろうし「気付いてくださいオーラ」を出しているときもあるかもしれない。
時代の流れとか、そういったもので片付けるのは稚拙な気もするが。
個になりすぎなところもあるのだろうか。
自分がよければいいと思うし、相手のことを考えるのも最低限でよいと思う。
そういった考え方が広がれば、相手への気遣いは減っていくだろう。
なんというかね、こういったことは「時代が~」とか「スマホ社会が~」とか「核家族化が~」とか、そういったことを結び付けたくなるんですけどね。
明確な根拠がないんですが。
声をかければ「事案発生」と言われたり、スムーズにいかないことも多いのだろう。
ただそうなると、人ごみがイヤになる。
周りの気遣いができない人が増えれば、人が集まるところは問題が多く発生するようになるだろう。
自分が気遣いができるかどうかは、一旦置いておくとして。
ますます人ごみがイヤになって、外には出ない自分になっていくのだろう。
色々なモノが発達しているので、家にいながら仕事ができたり買い物ができたり、もしかすると色んな体験もできるようになるかもしれない。
色々なものが個に合わせたものになり、人とのつながりを薄くしていくかもしれない。
自動運転技術が発達し、パーソナルモビリティ的な小さなマシンができれば、ほとんど人と会わなく通勤できる人が増えるだろう。
僕自身、人と出会うことがストレスになることもあるので、自動で動くカプセルのようなもので通勤できれば楽チンだなぁと思う。
一方で、人と人とが会うことで素敵なモノが生まれるとも思っているので、そういった機会が無くなるのは勿体無い。
勝手な考えだが、もっと個が進んで、小さな問題が、人と人との問題が発生してきたら、個が進む考え方は変わるのだろうか。
もう少し、自分自身も考えをまとめてみようと思う。
僕自身の考えをハッキリ言うようにならないと。
電車やバス、公共の場であまり声を聞かなくなってね。
そういう時代なのかもしれないですが。